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もんく [とある南端港街の住人になった人]

イマジナリー他人に成り代わって

別に大した話ではないが、Facebookでこんな記事が配信されていた。
見てもらえばわかるが薄毛の話だ。

実は自分も前頭部から頭頂部にかけて薄毛だ。そして全体に白髪が多い。いつからそうなったのかは覚えていない。それで、この状態を気にしているかというと、別にそうでもない。毛が多いより多少寒い程度に思っている。

さて、それで、この記事の何を読んでいるかというと、気にしているその視点がどこにあるかというところだ。この人、自分の薄毛を他人の視点で見ようとしているとわかる。薄毛を周囲の人がどう評価するかだ。薄毛故に丸刈りにして「おおむね好評」と言っている。だが、好評は自分視点でなく、他人視点だ。

こういう事は薄毛に限らず多くある。こんな事したら○○に見られるとしてその対策を事前にするというのをよくやる。誰かに何か言われるとかそういう事だ。

そこで全然別のことを考える。時間についてだ。人間には誰にも平等に1日24時間が与えられているとよく言う。だいたいそれで正しい。その中で食べて寝てうんちしてと、拠ない時間を差っ引くと随分と少なくなってしまうけれど、まあそんな感じ。それを誰もが真理だと普通は考える。

が、しかし、だからと言ってその時間を有効に使わなければと考える人は実際、けっこう少ないだろう。なぜなら、その時間を使って居もしないイメージ上の他人になり代わって考えてやっているからだ。他人の代わりにいろいろ考えてその対策まで頼まれもしないのにするのは親切過ぎないだろうか? 他にも他人が間違っているとか、わざわざ考えて指摘してやって結果何も得られないのも同じだ。そういう時間は誰の時間なのだろうか?

※イマジナリーは副詞なので他人という名詞の前に使うのは間違いです。イマジナル(形)が正解のはず。ご注意ください。ルー語みたいなものです。
調べてみたらイマジナリーも形容詞で使うらしいから、イマジナリー他人はOKみたい。ちょっと驚き。
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