もんく [とある南端港街の住人になった人]

イマジン

キャサリンさんはマレー語の試験が終わってからすっかり帰国モードに入っている。あと1週間ほどで日本だと言って浮き足立っているようだ。

その間にこちらは11月4日から8日の5日間の連休がある。もし仕事の都合がどうにかなればどこかに行きたいとも思うが一人だときっとだらだらして終わりになってしまうことだろう。どうしたものか。



安全カミソリの刃を想像する。
安全カミソリの刃はホルダーに入っていない。
テーブルに横たわっているカミソリの刃を手に取ってみよう。

カミソリの刃はテーブルのつるつるした表面に張り付いていてなかなか取れない。そして指の先に引っ掛けるには薄すぎる。それでもどうにかしてカミソリの刃を取ることができたがカミソリの刃の平らな面でなく両側の刃の部分が人差し指と親指の腹にかかっている。

危ない持ち方ではある。その状態のままカミソリを引き抜けばきっと皮膚が切れて血が出るだろう。そして痛いかもしれない。背筋がゾクッとする。人差し指と親指に力を入れすぎると刃は両方の指に食い込んでしまうだろう。想像しただけで背筋が凍りつく。もうこのあたりでこう言う変なことを考えるのを止めようと思う。

さらに指に力を入れると指の肉はバックリとカミソリの左右に口を開き血がにじむどころかだらだらと滴ってくる。普段見ることのできない新鮮な指の内部の肉が見える。切りたての刺身のような色をしている。さらに指に力を込めるガキッと何かにあたる。それは多分指の骨だ。


心はどの段階で想像力を撤退させるだろうか。
指がちょっと切れて血が滲むほどのところで済ませてしまうだろう。それが普通だと思う。わざわざ不快な思いをしたいものではないし、意味があるようにも思えない。だいたいそんなところだ。

ただ、ある種の人は指がもげるまで行ってしまう場合があるように思う。オカルト映画のようなものを作る人の事だけを言っているのではない。それは芸術家であったりその他の想像力を多く発揮する職業の人、もちろん職業でなくともそう言う人はいるように思う。想像力と言うのはきっとこのように指の上にあるカミソリの行く末をとことんまで思うことなのではないだろうか。不快でも結論がわかっていても途中で止めたりしないのが前提なのではなかろうか。
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