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もんく [とある南端港街の住人になった人]

勝負の一つ上のレイヤー

昨日書いた争うことに関しての文章はきっと多くの人に理解されないと考える。あの動画を観て何を感じるかは全くあの通りで、どちらが正しいことを言っているかは誰にとっても明確(立場毎に)なだけにその勝敗にとらわれる。昨日書いたのはそうした勝敗についてではなくて、その一つ上のレイヤーだ。

二人の人が言い争って勝負が決まったとする。勝った方は気分が良いだろう。そして負けた方はその反対だ。もしくは負けを認めない態度をとるかもしれない。相手がズルいことをしているからこんなにおかしなことになったと言う。つまり、誰が潔く、気持ち良く負けを認めて勝った相手を称賛したりするだろうか?何しろ勝負の過程で自分の意見ばかりか人格まで否定されていたのだから。負けて良かったことなどただの一つも無い。

そしてどんな正論が通ろうとも何も生み出すことはない。そこにあるのは破壊と殺戮だ。それも永遠に続く。そんな勝敗にどんな意味があると言うのか?だから、悪いが、どんなに優秀な頭脳の持ち主でも、どんなに世間に認められた肩書を持った者であっても根本が間違っている。流行りの論破と同じで見ている方は楽しいかもしれないが、やっている本人達の周りではそれじゃ済まない。
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