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もんく [とある南端港街の住人になった人]

この状況における幸福感はどこから?

夜7時半過ぎてもまだつぶあんはご飯を食べない。食欲増進剤がいつ効き始めるのか心配。効果は2日間あるはずなので待つしかない。様子はリンゲル液によってだと思われるが安定している。まだ歩くと倒れそうだが目的地までヨタヨタと歩ける。ただ、立ったままではいられないのと動いた後に長く呼吸が乱れる。ご飯を食べるのを待つばかり。



人は人生のいろいろな段階でいろいろな状況を経験する。その中で自分が幸福だと感じるか感じないかには何らかの法則があるのか? もちろん答えはない。

同じ状況の中に二人がいて、一方は幸福を感じ、もう一方は不幸を感じることがある。それはとても頻繁にあって、その食い違い自体がとても自然にそこにある。誰も不思議な現象だとは考えない。

なぜなら、不幸を感じている者はそれを当然と考え、幸福を感じている者も自分の感覚を当然と考える。そして不整合自体も当然と考えてそこで終わりだから。

でも、もし少しでも不思議だと考えるなら、自分の遺伝的な幸福感や不幸感というものを内省的に掘り下げて見てみてはどうだろう。当然として放っておくよりは幸福に近付く道になりはしないだろうか?


今、つぶあんが大変な状況に陥っていて、それに付き添ってリビングに寝る状態だけれども、自分としてはこのことに関して不幸とは感じない。むしろその逆だ。これは遺伝の成せる技なのか?
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