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もんく [とある南端港街の住人になった人]

日本が尊敬されない国だとわかる8月の日

原爆の日の広島と長崎の対応が違ったそうだ。

市に決定権があるのならそれはそれで良いと思う。
でも、広島も長崎も「式の進行に差し支える」というのを真っ先にあげているのは良いこととは思えない。政治的意図が実際にはあるわけだから、ちゃんと言うなら言った方が良い。


こうした曖昧な態度でいる限りいくら核爆弾の悲惨さや廃絶を訴えたとしても誰にも相手にされるわけがない。会議で黙って何も言わない人と同じでいないのと同じだし、いくら経済的規模が大きな国であっても尊敬される国にはならない。


それともう一つは核廃絶を「人道」の問題として訴えたとしても、核投下の元になった戦争を起こしたこと、そしてその中で行われた特攻についてもきちんと「人権」の問題として間違いであったと言ってからでないと意味がない。現実的にアメリカの核に守られた状態にあり、自ら攻めて行くことはしないにせよアメリカや隣国が戦争状態になったらまた戦争して人を殺しますと言っているわけで、その点も曖昧なまま核廃絶を言っても単なるセレモニーとしかとられない。


だから国がどんな態度であろうと長崎市や広島市が決定しているのなら人権の問題に関しての間違いを認めた上で日本政府に対してもロシア等の国に対しても同様に言うべきだろう。そうしないといつまで経ってもただのセレモニーで終わってしまって問題提起にさえならない。


我々日本人は自分の立場についてきちんと言わないしもしかしたら考えもしなくて、自分と異なるセグメントにいる人たちの事もあまり考えないとかましてや他国で起きている人権に関わる問題のことも同じかもしれない。そんなだから今になってあの戦争の正当性を言ったり、特攻を美化して言う政治家が出てきたりしても丸め込まれてしまう。個人の生きる権利をそれが同胞だろうと敵になっている者だろうと力で奪う行いが正しいと言えるわけがないとシンプルに言うべきじゃないのか?


まあ、誰もそんな事関心ないと思うけどね。
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