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もんく [とある港街の住人]

47 人の言葉より猫のニャーは重い

人の話って、実はあまり聞く必要が無いと思っている。

人の話す話はだいたいが「長い」。なぜ長いかと言うと、相手を言葉で操作しようという意図があるから。長く話すのは相手の言葉を聞く必要が無いという考えに基づいている。だから、言う事としてはかなり単純なのに装飾がたくさんあって長くなる。ほとんど意味が無い。

例えば親が子に言う小言などは典型で、単にもっと勉強しろとか、いけない事をしたと叱責したいだけなのにそれをクドクド言う。子供はそんなのすぐにわかるから聞いていて飽きる。飽きるけれども言葉よりそれに耐える時間の方が効果を発揮する。柱に縛り付けているのと小言は同じだ。

特に小言じゃなくてもそういうのは多い。Youtubeなどでトークをやっているのもあれは文字で書けば3行で済む事を10分、20分に引き伸ばしている。スキップしながら観るべし。テレビとかでたまに見られる選挙の街頭演説とか、政治家の話も同じ。どうせそこに集まっている人間なんて別に言ってる事に反対しないし、中身だってクドクド言っているだけでほとんど中身が無い。あれもわざわざその場所に来たというアピールに過ぎない。

そんなのにいちいち反応しているとだいたい巻き込まれる。そして悪い宗教団体に利用される。時間の無駄に加えて危険でもある。反応してはいけない。

それに対して猫のニャーは重い。

だって猫はほとんどの場合、自分で主人を選べない。その人に要求する以外の方法が無い。そして猫はその主人の手に抱かれて短い一生を終える。楽しいも苦しいも痛いもお腹空いたもその主人しかどうにかできない。お互いに代わりは無い。

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