<神田明神から柳森神社>
柄ではないが、この店ではとりあえず名物の明神甘酒でいくしかないだろう。
『佐々木三冬が、金子道場から円満寺の前をすぎ、神田明神社・門前にさしかかったとき、
それまでは薄日がもれていた空が急に掻き曇ったかと思うと、雨が疾って来た。
秋時雨である。
三冬は明神社・大鳥居を入った右側の茶店に走り込み、名物の甘酒をたのみ、時雨が通りすぎる
のを待つことにした。
「おいしい・・・・・・」
そこはさすがに若い女性であった。
熱く甘く、生姜の香りがほのかにただよう甘酒をすすり、何気なく眼をあげると・・・(略)・・・』
池波正太郎著「剣客商売 天魔」約束金二十両 (文春文庫)より
冷たい甘酒を注文した。
甘みが抑えられていて、年に一、二度しか飲まないようなわたしみたいな酒呑みでもいける味だ。
それでも口直しに「ところてん」を追加してしまう。
このところてん、ちと高いが相当に美味しい。いままで食べたなかでは西伊豆のが一番美味しかったが、それに次ぐくらいに旨かった。酢とからしの量も絶妙であった。
湯島天神ではゆるやかな女坂だったので、神田明神では急な「明神男坂」を通って秋葉原の街へ降りていく。
ところてんが妙に効いたのかあまり空腹を感じない。
秋葉原駅の脇を通り、狭い橋を渡って柳森神社に行ってみる。ちょうどワシントンホテルの裏側あたりである。
室町時代に太田道灌が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植えて京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社で、神田川掘割のときに佐久間町から移され江戸の名所になったという。
狭い境内に、珍しい桜が咲いていた。気品のある色が貴族の衣装を思わせることから御衣黄桜(ぎょいこうざくら)と呼ばれ、東京にはこの一本しかないらしい。
おたぬき様と呼ばれる親子狸のお守は、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があるらしい。
五代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に福寿いなりとして創建し、京都の八百屋の娘が家光の側室になり「他を抜いて(たぬき)」玉の輿にのったその幸運にあやかろうと、大奥の御女中連が崇拝したという。
現在では、猫がいる神社としても有名である。
たしかに、猫がなにか好物を嗅ぎつけたのか若い女性に摺り寄っていた。
神社の近くに昭和レトロな喫茶店をみつけて、嬉しくなって店のドアを押した。
クリームソーダと、小腹を満たすためハムトーストを注文する。
子どもっぽいのだが最近喫茶店ではよくクリームソーダを選択してしまう。
あまり期待していなかったハムトーストの旨さに思わず目を見張る。
カウンターの上に、目力のある耳の美しい白猫の写真が飾ってあった。気になって訊いてみると亡くなった猫だそうで、二十歳まで生きたという。
「あの・・・ウィスキーの水割りをください」
珍しくここまでアルコールを呑まなかったのだが、是非も無い。猫好きなので、その白猫ちゃんの冥福を祈って献杯することにしたのであった。
→「湯島天神から神田明神」の記事はこちら
柄ではないが、この店ではとりあえず名物の明神甘酒でいくしかないだろう。
『佐々木三冬が、金子道場から円満寺の前をすぎ、神田明神社・門前にさしかかったとき、
それまでは薄日がもれていた空が急に掻き曇ったかと思うと、雨が疾って来た。
秋時雨である。
三冬は明神社・大鳥居を入った右側の茶店に走り込み、名物の甘酒をたのみ、時雨が通りすぎる
のを待つことにした。
「おいしい・・・・・・」
そこはさすがに若い女性であった。
熱く甘く、生姜の香りがほのかにただよう甘酒をすすり、何気なく眼をあげると・・・(略)・・・』
池波正太郎著「剣客商売 天魔」約束金二十両 (文春文庫)より
冷たい甘酒を注文した。
甘みが抑えられていて、年に一、二度しか飲まないようなわたしみたいな酒呑みでもいける味だ。
それでも口直しに「ところてん」を追加してしまう。
このところてん、ちと高いが相当に美味しい。いままで食べたなかでは西伊豆のが一番美味しかったが、それに次ぐくらいに旨かった。酢とからしの量も絶妙であった。
湯島天神ではゆるやかな女坂だったので、神田明神では急な「明神男坂」を通って秋葉原の街へ降りていく。
ところてんが妙に効いたのかあまり空腹を感じない。
秋葉原駅の脇を通り、狭い橋を渡って柳森神社に行ってみる。ちょうどワシントンホテルの裏側あたりである。
室町時代に太田道灌が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植えて京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社で、神田川掘割のときに佐久間町から移され江戸の名所になったという。
狭い境内に、珍しい桜が咲いていた。気品のある色が貴族の衣装を思わせることから御衣黄桜(ぎょいこうざくら)と呼ばれ、東京にはこの一本しかないらしい。
おたぬき様と呼ばれる親子狸のお守は、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があるらしい。
五代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に福寿いなりとして創建し、京都の八百屋の娘が家光の側室になり「他を抜いて(たぬき)」玉の輿にのったその幸運にあやかろうと、大奥の御女中連が崇拝したという。
現在では、猫がいる神社としても有名である。
たしかに、猫がなにか好物を嗅ぎつけたのか若い女性に摺り寄っていた。
神社の近くに昭和レトロな喫茶店をみつけて、嬉しくなって店のドアを押した。
クリームソーダと、小腹を満たすためハムトーストを注文する。
子どもっぽいのだが最近喫茶店ではよくクリームソーダを選択してしまう。
あまり期待していなかったハムトーストの旨さに思わず目を見張る。
カウンターの上に、目力のある耳の美しい白猫の写真が飾ってあった。気になって訊いてみると亡くなった猫だそうで、二十歳まで生きたという。
「あの・・・ウィスキーの水割りをください」
珍しくここまでアルコールを呑まなかったのだが、是非も無い。猫好きなので、その白猫ちゃんの冥福を祈って献杯することにしたのであった。
→「湯島天神から神田明神」の記事はこちら
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