温泉クンの旅日記

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佐助稲荷

2018-10-03 | 鎌倉点描
  <佐助稲荷>

 そろそろ降ってくるな・・・。
 さきほどからうっすら漂う雨の匂いをわたしの鼻が嗅ぎわけていた。



 坂道を降り切ったところ、右の角に佐助稲荷道の石碑をみつけた。銭洗弁天の方向から来るととてもわかりにくい位置である。
 住宅街のど真ん中を奥まで進むと、佐助稲荷神社があった。ここは、出世や開運のパワースポットだそうだ。まだ傘はいらないが雨が降りはじめてきた。



 参道には赤い幟旗がはためく朱色の鳥居が並んでいる。鳥居は、神域と俗界とを隔てる門、結界である。



 伏見稲荷の千本鳥居(実際には九百弱だそうだが)には程遠い、五十基ほどだが参拝者にはそれなりに迫ってくるものがある。朱色は魔力に対抗する色で、神社仏閣には多い。


 
 願い事が「通る」とか、願い事が「通った」お礼の意味で参拝者が鳥居を奉納する。江戸時代以降に広がった習慣だそうで、順番待ちの参拝者がたくさんいて鳥居が朽ちると新しい鳥居が寄進される。
 石段の途中の両脇に狐の石像があり、よく見るとけっこうな強面(コワモテ)である。





 昇りきったところに拝殿があった。雨のせいか参拝者がまるでなく、静かである。





 だんだん雨が強くなってきて、折り畳み傘を取り出して広げた。
 神水が湧き出るという「霊狐泉」。脇水をペットボトルなどにいれて持ち帰りお供えするひとも多いという。



 佐助稲荷神社の由緒については、頼朝が稲荷神の夢をみたときの官位「前右兵衛佐」に由来する。あたりまえだが忍者の猿飛佐助はまるで関係ない。
「東慶寺花だより(井上ひさし著)」のなかにその下りがあったので記しておく。

  「佐助稲荷の社伝に曰く、流人であった頼朝公の夢に当社のお使いのおキツネさまが現れて、
  挙兵をお勧めしたのがそもそもの始まり・・・」
   社務所の前で神官装束の大男が胴間声をあげている。
  「お勧めに励まされて挙兵なさると、それこそまたとないよい潮時でな、あとはみなさんも
  知っての通りの源氏の大勝だ。そのお返しに頼朝公は、当時ボロボロであった社殿をいま見るように
  りっぱに再興なさって、さらにその上、当社に台と山崎の十五町歩の田畑を御寄進あそばされた。
  そのときだよ、社名がかわったのは。前右兵衛佐(さきのうひょうのすけ)殿の頼朝公を
  お助けしたから、佐の字と助の字を合わせて、佐助稲荷となりました」




 拝殿の裏側にのぼると本殿があるらしいが、雨脚が強くなってきたのでここらで退散することにした。銭洗弁天ではあれほど犇めいていた観光客たちも、きっとこの雨のせいで急遽佐助稲荷を飛ばしたのだろう。



 雨脚が強くなると、雨の匂いが薄くなっていく。
 酒田に向かって庄内平野を走っているときに、胸が思わずドキドキするほどの、滝のような豪雨に襲われたことがある。短時間集中豪雨がこの夏全国のあちこち、首都圏でも頻発している。やばそうだから駅に急ぐとしよう。

 ところで、雨の匂いは科学的に解明されており、「ペトリコール」といい、植物や大地がもたらす匂いだが、降る前には大気中に(酸素の分子である)オゾンが発生して清々しい香りがするという。



   →「豊川稲荷の稲荷寿司」の記事はこちら

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