温泉クンの旅日記

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栃木・黒羽、芭蕉公園

2018-05-27 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <栃木・黒羽、芭蕉公園>

 弥生も末の七日、つまり元禄二年三月二十七日(新暦5月16日)に、江戸をあとにした芭蕉一行は四月三日(新暦5月21日)日光から矢板、大田原を経て黒羽に到着した。



 ところで芭蕉だが、服部半蔵の従兄弟の一族だったことから俳諧師は世を欺く仮の姿、実は幕府の隠密だったとかの説があったり、実は弟子の曾良のほうが幕府お抱えの秘密調査官で日光までは公費出張だったという説もある。

 その真偽はさておき、黒羽にはなんと旅では最長の十四日間も滞在した。
 宿泊先は黒羽藩城代家老の浄法寺高勝(俳号=桃雪)邸と、その弟の鹿子畑豊明(俳号=翠桃)邸である。到着日の四月三日は翠桃亭に、桃雪邸に四月四日から四月十日、翠桃亭に四月十一日から四月十四日、そして桃雪邸で四月十五日に宿泊して、元禄二年四月十六日(新暦6月3日)に黒羽を立った。
 黒羽城の三の丸にあった桃雪邸跡だが、現在は芭蕉公園となっている。



 芭蕉公園入口近くに句碑があった。



      田や麦や 中にも夏の ほととぎす
  (緑の田、黄色く熟した麦畑の初夏の景色に、渡るホトトギスの鳴き声が
   一段と夏を感じさせる)

 公園に入ってすぐの左に再現された桃雪邸があるが、いってみたがその趣きはいまひとつで、竹林を抜ける細い坂路には思った以上の風情があった。



 初夏の日差しが折り重なる薄い竹の葉をつらぬいてふりそそぎ、それを竹林越しに見あげると溜息がでるような季節感を感じてしまう。この竹林の細い路をとおったというだけで、ここに来た価値はわたしには充分あった。



 登り切ると、芭蕉広場と呼ばれる広く平らな場所に出た。



 ここにあった句碑。



      鶴鳴くや 其声に芭蕉 やれぬべし
  (画賛の句。この絵のなかの鶴は滅多に鳴かないだろうが、もし鳴けば芭蕉の葉は破れてしまうであろう)

 芭蕉広場から芭蕉の館にのぼると、弟子の曾良が詠んだ句碑もあった。



      かさねとは 八重撫子の名成るべし
  (芭蕉一行が那須野の野原を行くときに、草を刈る男から道に迷うと危険だからと馬を借りた。
   すると馬のあとから小さな子どもが二人ついてくる。名前を訊くとそのうちの小さい娘が
  「かさね」と云う。聞き慣れない名前だが優美で風情がある響きがあるので曾良が一句
   詠んだとのことである)



 芭蕉の館で乾いた喉を潤したが、館内が撮影禁止なのは残念であった。



  →「栃木・黒羽、雲厳寺」の記事はこちら
  →「栃木・黒羽、妙味な蕎麦」の記事はこちら


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