<高千穂神社>
高千穂神社。
天孫降臨の地である高千穂の八十八社の総鎮守である。
創建は古く、千九百年前に遡る。
「高千穂皇神社」として「続日本紀」にもその名が見られる歴史のある神社である。
境内は静寂そのもので、周りをうめつくす緑は深く、とても濃い。
さきほどの白クマのことなどすべて忘れ自分を取り戻したわたしは、ゆっくり歩を進めるのであった。
高千穂の地名の謂れは次のようなものらしい。
『地上界の無秩序に心を痛めた天照大神(アマテラスオオミカミ)は、孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に、
「地上界に降りて国を治めるように」
と命じた。
命じられるままに、ニニギノミコトは多くの神を従えて地上に降りるが、辺りは立ち込める雲のために真っ暗で何も見えない。
そこへ大クワ、小クワと名乗る里の二人があらわれて、
「お持ちになっている稲穂から籾を取り、四方に撒けばきっと晴れ渡ることでしょう」
と言う。
その言葉に従って、籾を四方に撒いたところ、みるみるうちに雲は晴れて空は明るくなり、太陽と月が輝き始めた。こうしてこの地は「智穂」、そして「高千穂」と名付けられた』
鬱蒼とした境内には巨木も多い。
「秩父杉」。
源頼朝が天下太平を祈願して、秩父庄の司である畠山重忠を代参として奉納した。
頸椎の悪いわたしは、見上げるのに苦労してしまう。
こちらは「夫婦杉」である。
樹齢はこちらも八百年以上の二本の大木だが、根元が一つに繋がっていることから名づけられた。夫婦や恋人たちに人気がある。
何があっても分かれることがないとして、夫婦が手をつないで周囲を三度周ると、夫婦円満、家内安全、子孫繁栄の願いが叶うという。
高千穂峡に降りていこうと思っていたのだが、まだ腹具合に自信がない。
まあ一度歩いたこともある。
そこで橋の上から、見下ろすだけで今回は満足することにした。
→「白クマカーチェイス」の記事はこちら
→「臼杵の石仏」の記事はこちら
高千穂神社。
天孫降臨の地である高千穂の八十八社の総鎮守である。
創建は古く、千九百年前に遡る。
「高千穂皇神社」として「続日本紀」にもその名が見られる歴史のある神社である。
境内は静寂そのもので、周りをうめつくす緑は深く、とても濃い。
さきほどの白クマのことなどすべて忘れ自分を取り戻したわたしは、ゆっくり歩を進めるのであった。
高千穂の地名の謂れは次のようなものらしい。
『地上界の無秩序に心を痛めた天照大神(アマテラスオオミカミ)は、孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に、
「地上界に降りて国を治めるように」
と命じた。
命じられるままに、ニニギノミコトは多くの神を従えて地上に降りるが、辺りは立ち込める雲のために真っ暗で何も見えない。
そこへ大クワ、小クワと名乗る里の二人があらわれて、
「お持ちになっている稲穂から籾を取り、四方に撒けばきっと晴れ渡ることでしょう」
と言う。
その言葉に従って、籾を四方に撒いたところ、みるみるうちに雲は晴れて空は明るくなり、太陽と月が輝き始めた。こうしてこの地は「智穂」、そして「高千穂」と名付けられた』
鬱蒼とした境内には巨木も多い。
「秩父杉」。
源頼朝が天下太平を祈願して、秩父庄の司である畠山重忠を代参として奉納した。
頸椎の悪いわたしは、見上げるのに苦労してしまう。
こちらは「夫婦杉」である。
樹齢はこちらも八百年以上の二本の大木だが、根元が一つに繋がっていることから名づけられた。夫婦や恋人たちに人気がある。
何があっても分かれることがないとして、夫婦が手をつないで周囲を三度周ると、夫婦円満、家内安全、子孫繁栄の願いが叶うという。
高千穂峡に降りていこうと思っていたのだが、まだ腹具合に自信がない。
まあ一度歩いたこともある。
そこで橋の上から、見下ろすだけで今回は満足することにした。
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