<長浜宿界隈(2)>
滋賀へ旅をするということを、たまたま電話をかけてきた年長の友人にいったところ「橡餅(とちもち)」を買ってきて欲しいと頼まれた。
橡餅なんか全国のどこででも手にはいる、滋賀に拘る必要はないじゃないか。
そう言うと、滋賀の橡餅が是非食べたいのだと言い張った。
関西生まれのひとであるので、特別な思い入れがあるのかもしれない。
注意してみていてあったら買っておくと答えておいた。

そんなわけで、長浜宿のあちこちの土産物屋にはいっても、まず橡餅を探してしまい他の土産物が眼にはいらなくなってしまう。

なかなかの店構えの漬物屋があって、酒のつまみを探したいが、とにかく橡餅を優先してしまう。

ただ、土産物屋にあったこの金平糖には眼を奪われた。
ガラスを通して彩りがなんとも美しい。
主君の信長は進取の性格で、南蛮渡りのワインやら金平糖など食べたらしいから長浜にいた秀吉も真似たのかもしれない。
長浜は金平糖が有名なのだろうか。

二、三個買おうか。ずいぶん悩んでしまったが結局買わなかった。
電球や招き猫の瓶にはいったものがあり、見とれてしまう。

黒壁スクエアのそばに、なかなか良さそうなレストランがあった。周りの建物にも溶け込んでいて、どうやら流行っているようだ。
こちらは、いかにも創業の古そうなうどん屋である。

のっぺいうどん、か。
食べようか、どうしようか、悩む。
こと食べることにたいしては、それほど冒険はしない。
あの伊勢うどんでさえ、食べるまでに何年もかかったのだ。食べ物を残してはいけない、という教えを小さいころに叩きこまれていながら、不味いと思えばひとくち食べただけで全部残してしまう偏屈なわたしである。

入り口の横では、なんとも珍しいラムネが並んでいた。
わさびは見当がつくが、キムチとかカレーとかたこ焼きのラムネは創造を絶してわからない。
豊国神社だ。

秀吉公の遺徳と偲んで町衆が建立した神社である。徳川政権下、表向きは恵比寿宮であったが、実は奥のほうに秀吉公の神霊を祀っていたのである。
長浜の街のところどころに蔵のような建物があるが、祭のための曳山を格納しているのだ。

この建物には、大手町組の「寿山(ことぶきやま)」という曳山がはいっている。
秀吉が長浜城に移りはじめての男子が出生したことから、その祝いに町民に砂金をふるまった。その砂金をもとに曳山をつくり曳山祭が始まったと言われている。
長浜と秀吉は切っても切れないつながりがあるようだ。
橡餅は結局見つからなかった。
帰ってきてから調べてみたら、もう少し越前寄りのところの名物らしい。
覚えておいて、いずれ友人へのお土産にしようと思う。
→「長浜宿界隈(1)」の記事はこちら
滋賀へ旅をするということを、たまたま電話をかけてきた年長の友人にいったところ「橡餅(とちもち)」を買ってきて欲しいと頼まれた。
橡餅なんか全国のどこででも手にはいる、滋賀に拘る必要はないじゃないか。
そう言うと、滋賀の橡餅が是非食べたいのだと言い張った。
関西生まれのひとであるので、特別な思い入れがあるのかもしれない。
注意してみていてあったら買っておくと答えておいた。

そんなわけで、長浜宿のあちこちの土産物屋にはいっても、まず橡餅を探してしまい他の土産物が眼にはいらなくなってしまう。

なかなかの店構えの漬物屋があって、酒のつまみを探したいが、とにかく橡餅を優先してしまう。

ただ、土産物屋にあったこの金平糖には眼を奪われた。
ガラスを通して彩りがなんとも美しい。
主君の信長は進取の性格で、南蛮渡りのワインやら金平糖など食べたらしいから長浜にいた秀吉も真似たのかもしれない。
長浜は金平糖が有名なのだろうか。

二、三個買おうか。ずいぶん悩んでしまったが結局買わなかった。
電球や招き猫の瓶にはいったものがあり、見とれてしまう。

黒壁スクエアのそばに、なかなか良さそうなレストランがあった。周りの建物にも溶け込んでいて、どうやら流行っているようだ。
こちらは、いかにも創業の古そうなうどん屋である。

のっぺいうどん、か。
食べようか、どうしようか、悩む。
こと食べることにたいしては、それほど冒険はしない。
あの伊勢うどんでさえ、食べるまでに何年もかかったのだ。食べ物を残してはいけない、という教えを小さいころに叩きこまれていながら、不味いと思えばひとくち食べただけで全部残してしまう偏屈なわたしである。

入り口の横では、なんとも珍しいラムネが並んでいた。
わさびは見当がつくが、キムチとかカレーとかたこ焼きのラムネは創造を絶してわからない。
豊国神社だ。

秀吉公の遺徳と偲んで町衆が建立した神社である。徳川政権下、表向きは恵比寿宮であったが、実は奥のほうに秀吉公の神霊を祀っていたのである。
長浜の街のところどころに蔵のような建物があるが、祭のための曳山を格納しているのだ。

この建物には、大手町組の「寿山(ことぶきやま)」という曳山がはいっている。
秀吉が長浜城に移りはじめての男子が出生したことから、その祝いに町民に砂金をふるまった。その砂金をもとに曳山をつくり曳山祭が始まったと言われている。
長浜と秀吉は切っても切れないつながりがあるようだ。
橡餅は結局見つからなかった。
帰ってきてから調べてみたら、もう少し越前寄りのところの名物らしい。
覚えておいて、いずれ友人へのお土産にしようと思う。
→「長浜宿界隈(1)」の記事はこちら
このたびは、長浜に来ていただきましてありがとうございます。
ブログを楽しく拝見させていただきました!
「長浜観光協会」(http://www.nagahamashi.org/)の「長浜に来られた方のブログ」と
「びわ湖・近江路観光圏」(http://ohmiji.jp/)の「びわ湖・近江路を訪れた方のブログ」、
そして、当社運営のブログコミュニティサイト「コブログ」の「旅ブログ」(http://dp10063051.lolipop.jp/ko-blog/)では、
長浜・湖北・湖東のことを書いていただいている貴重なブログをサイト上で紹介させていただくことにより、これからこちらに来られる方の参考にしてもらいたいと考えています。
そこでもしご了解していただければ、温泉クンさんが長浜について書かれているブログを数点掲載させて頂きたいので、コメントかメール(info@e-ohmi.net)でお返事をいただければ嬉しいです。
また、このブログのおじゃまをしてしまいました場合は、たいへんお手数ですがこのコメントの削除をお願いいたします。
早速“長浜宿界隈の1と2”を掲載させていただきました。
「長浜観光協会」の「長浜に来られた方のブログ」(http://www.nagahamashi.org/blog.php) 「びわ湖・近江路観光圏」の「びわ湖・近江路を訪れた方のブログ」(http://ohmiji.jp/)
「コブログ」の「旅ブログ」(http://dp10063051.lolipop.jp/ko-blog/list.php)
お時間のあるときにでもご確認ください。
また後日に長浜のシリーズを随時掲載させていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
プロクルー 金澤