ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

回想22 「北海道訪問記 最終」-帰路に着く

2013-12-21 11:00:00 | 旅行
 3月9日、学校での日程をすべて終え、宿所に向かおうと体育館を通ると、1部の学生たちが藤代先生指導の下、サッカーをしていた。





 練習の邪魔にならないようにそっと歩いていたら壁に「折鶴の絵」が見えたので立ち止まった。



 「私たちの夢、私たちの心プロジェクト・北海道」と書かれた壁新聞が貼ってあった。。

 朝鮮高校授業無償化実現のため、国連に折鶴と私たちの代表を送ろうと、群馬のオモニ会の皆さんが全国の同胞たちに呼びかけた事を北海道でも率先して行動に移してくれているのだ。卒業式の日、卒業式に参加してくださった皆さんに呼びかけて鶴を折ってもらいワンコインカンパをしていただいている様子がFbで紹介されていたことを思い出した。胸が熱くなった。

 短い間ではあったが、思い出が一杯できた。

 温かい寄宿舎、おいしかった食事、素晴しい環境を整えた施設、雪の中に潜るようにして雪かきをしていらした先生方、明るい笑顔で美味しいコーヒーとケーキをごちそうしてくださった若い女教師の皆さん、そして何よりも休校にも関わらず学校に登校して下さり教育講演会に参加してくださった教職員の皆さんに対する感謝の気持ちでいっぱいになった。



 







 アンニョンヒ!(さようなら)、またいつか訪れることができるだろうか。いいえ、またいつかきっときます!

 みなさんに別れを告げて学校を後にした。

 宿所に行く前に私の娘の同級生の李さんのお家に寄ることになった。私は明日又この家にお邪魔するけど、河津さんとは今日でお別れになるので少しだけ李さん宅に一緒に寄ることになった。

 李さんご夫婦は私の娘と大学時代4年間、同じクラスだった。特に奥様の李さんは娘と空手のクラブも同じでとても仲の良い親友同士だったそうだ。

 李さんとは昨年6月東京の中野で行われた「モンダンヨンピル」のコンサートでも偶然お会いしたのだが、娘からも必ず会ってきてねと頼まれていた。



 やさしい笑顔で李さんが迎えてくれた。コーヒを入れてくれている間、ご主人の金先生が部屋を案内してくださった。至る所に本があり、至る所に家族の写真が飾ってあった。アットホームな家族像がそこにあった。

 居間兼食堂の食器棚には、なんと共和国の国旗がプリントされたコーヒーカップが飾ってあった。嬉しがりな私たちは中から取り出してもらってまじまじと見つめさせてもらった。





 金先生の車で宿所にむかった。すでに雪が降り始めていた。

 宿所に荷物を預けジンギスカン焼きの元祖「ダルマ」屋に向かった。金先生のハルモニとオモニが築き上げたお店だという。

 河津さんご夫婦と一緒に羊の肉を生まれて初めて食べた、今まで食わず嫌いだったというか、食べる機会が無かったというか。

 一緒に焼いて食べる玉ねぎと白ネギがなんて美味しいのだろう。オモニムが自ら作られたというキムチとチャンジャも本当に美味しかった。





 宿舎に着いた。

 次の日の朝、9時半に金先生が迎えに来てくださった。夜中中大雪が降り、最低気温はマイナス6度だという。飛行機が飛ぶかどうか判ら無い状態だ。無事帰れるだろうか、テレビでは運行が不可になった列車や欠便になった飛行機の案内を続けていた。

 10時過ぎ李さんのお宅に到着した。子供さんたちが私の歓迎公演をしてくれるという。



 天真爛漫な4人のお子さんたちが歌を歌ってくれた。





 息子さん二人はテコンドを見せてくれた。



 李さんと子供さんとで歌も歌ってくれた。そればかりではない。



 「ようこそおいでくださいました。」と書かれたケーキまで準備してくださっていたのだ。

  私は大雪の事も飛行機の事も一時忘れ子供たちの歌に聞きほれていた。

 美味しいケーキとコーヒーを戴いた後、私もお返しのつもりで、今回高学年用に準備してきたが休校のため中止になった「ウリマルの基礎発音の練習」と「教科書朗読」の練習を約1時間子供たちと一緒に楽しく行った。





 1時間はあっという間に過ぎてしまった。日常的にウリマルを良く使い、本も良く読み、音読を常にしていたようなので、呑み込みがとても早かった。4人ともみんな、声も良いし発音もとても良い、2年生の末っ子ちゃんだけは少し退屈そうにしていたので申し訳ない気がした。高学年用の資料なので2年生には少し難しかったと思う。

 3時10分発の飛行機だが12時には出発させていただいた。6人でJr札幌駅まで見送ってくださった。なんとお昼弁当や電車のチケットまで準備してくださっていた。本当に申し訳なかった。いくら娘のお友達とはいえ、こんなに手厚く迎えてもらい感謝感謝の2時間だった。

 

 飛行場に着いた。先ほどまでの猛吹雪はどこへ行ったのやら、大雪がピタリと止まり、青空が新千歳空港の上空一面に広がった。







 飛行場に着いたけど欠航かどうかはぎりぎりまでわからない。約1時間遅れているそうだ。とにかく先に搭乗手続きを済ませ、先ほどいただいたお弁当を待合室で美味しく頂いた。







 3時10分発が4時15分発になったけど何とか大阪に帰れる見通しがたった。ついに離陸の瞬間が来た。

















 無事関空に着いた。格安ピーチの運命だ。第2ターミナルから第1ターミナルまで移動しなければならない。飛行場について上六行きのバスが出発するまでなんと1時間以上かかったのだ。

 バスの中から観覧車が見えた。もうすぐだ。









 上六には夫が迎えに来てくれていた。9時にやっと家に到着した。李さんのお宅を出てから丸々9時間が過ぎていた。

 楽しく、感動的で幸せ一杯の北海道訪問だった。皆さんに心から感謝いたします。



 

 
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