ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

回想⑱  3月8日 「北海道訪問記①」―夢はかなうものなのですね。

2013-12-21 10:31:44 | 旅行
 

 私には夢がたくさんありました。

 その一つは生まれた場所も知らなかった自分自身のルーツを探すことでした。

 青森で生まれ6か月後に北海道へ、2年後に北海道から東京へ、その1年後に東京から京都へ、1年半後に京都から大阪へ。

 還暦を迎え退職したら、すべての地をこの足で一度辿ってみよう。願わくば、私に繋がるすべてのウリハッキョを訪ねて子供たちとウリマルのお話、ウリマルの勉強をしよう。(可能ならば全国のウリ八ツキョを訪ねて子供たちとウリマルの勉強の楽しさを分かち合おう。)それが私の夢でした。

 順不同で60才になった秋の日に、私が幼い時過ごした京都の東福寺を訪ね、感無量のひとときをすごしました。

 その次にはお正月休みを利用して北海道の函館に行きました。格安の298のツアーを利用し1日はレンタカーを借り、今は名前が変わった函館の恵山町を訪ね、姉が通っていた東小学校(昔は銭亀小学校と言った)を訪ね写真も一杯撮ってきました。

 父母が働いていたという函館の港へも出向き、雪降る中、海岸を歩きました。ここが私をおぶって母がイカ裂きをしていたところなのか、ここで私の足首に一生消えることのないゴムひもの跡が付いたのか、考えるほどに涙がこぼれました。

 そして2年前の今日3月11日、東日本大震災を目の当たりにしました。繰り返し報道された津波に流される家や車、逃げ惑う人々を見ながら、恐怖は悲しみに変わり、深い悲しみの中で「人間の生死はいつどうなるかわからない。短い人生だ。後悔の無いように生きよう」と思うに至りました。

 震災後、東北や福島、茨城の同胞と子供たちのニュースを聞くたび、見るたび、探していかねば、私にもできることがあるはずだと思い、復興支援のチャリティコンサートにも自作の詩を持って積極的に参加しました。

 東北のウリハッキョでのチャリティコンサートが決まった時、「生まれた場所を探してみよう!」と決意し「青森県平川市碇ヶ関支所」に手紙を送り協力を求めたところ、1か月後に連絡が来てついに青森行きが決定しました。

 東北でのコンサートが終わった翌日、高速バスで仙台から弘前に行き、電車で4駅の無人駅碇ヶ関に降り立った時のあの感動!

 夢が一つづつ現実にかなっていくことが不思議なくらいでした。

 青森から帰り今度は、28年間務めた東大阪中級からのオハーで「創立50周年を記念しての講演会」へも出演させていただきました。

 昨年11月には母校大阪朝高からのオハーで全校生の前で「朝高時代の思い出話とウリマルに関するお話」もさせていただきました。

 今年の2月23日は中級時代を過ごした北大阪からオハーがあり「チェジャリ」公演にも自作の詩を学生たちと一緒に朗読させていただきました。嘘みたいに夢がどんどん適っていきました。

 そして3月ついに北海道のウリハッキョに行く決心をしたのです。

 誰が呼んでくれたのでもなんでもありません。私が行きたかったのです。

(河津さんのご主人がタイミング良く、3月の9,10と北海道で仕事をされるので、その日に合わせて思い切って北海道に行こうと河津さんとふたりで決めたのです。)



 3月8日、格安のピーチに乗って、無償化運動を共に行ってきた河津さんと一緒に北海道に向かいました。



 新千歳空港を降り立ち、大谷地行きの高速バスを待ちました。

 5時45分発のバスに乗り、6時半過ぎ迎えに来てくださった金先生と共に、ある場所に向かいました。





 昨年3月15日、大阪で講演してくださりお友達になった藤代先生が、私たちを待っていてくださったのです。

 私の大事な先輩の息子さんである朴先生もご一緒でした。交流していらっしゃる日本学校の先生お二人も一緒でした。





 藤代先生と1年ぶりの再会を喜び合い、初めてお目にかかる先輩の息子さんと熱い握手を交わしました。

 日本学校の先生たちとも、まるで旧知のように交流することができました。

 夜10時寄宿舎に到着しました。



 206号室が私たちの宿所になりました。なんて温かくてかわいい部屋でしょう。ホテルの何十倍も素敵だと思いました。










 明日は1時間目は中高生を対象に講義です。

 2時間目は初級部高学年を対象にウリマルの話術、朗読の指導です。

 3,4時間目は初級部低学年の学習発表会の鑑賞です。

 午後からはオモニたちへの講義「子供たちと楽しむウリマルのお勉強」です。

 スケジュールはハードだけど来たからには頑張らねばと準備した講義案を何回も読み返しました。

 11時にはお布団の中に入りましたが河津さんとお話をしていたら12時になりました。

 話は尽きなかったけど明日の事をおもって寝ようということになりました。

 朝6時半、予期せぬとんでも無いお知らせが舞い込んできました。(明日に続く)





 
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