愛知在住のFbチングであるパクへミョンさんから投稿があり、「コッソンイ」中高級部門37号に孫が書いた作文が掲載されていたと連絡くださいました。まだ見ていませんが、送って下さった挿絵を見たらそっくりすぎて思わず笑ってしまいました。
1月23日に新報日本語版に訳されて掲載されていましたので、もう一度載せますね、時間のある方はお読みください。
〈第37回コッソンイ〉中級部1年・作文部門
「広報部長」ハルモ二
東大阪中級学校 1年 潤伊
日本の人たちは、私のハルモニを「広報部長」と呼ぶそうです。それは、今も続いている「火曜行動」に毎週欠かさず参加し、フェイスブックとブログを通じてその様子を広く知らせているからです。
今、大阪は橋下市長の差別政策によって補助金が支給されない厳しい状況にあります。しかし、同胞、アボジ、オモニ、先生、日本の先生たちがなんとしても「高校無償化」と補助金を獲得しようと、「火曜行動」を繰り広げています。
私は、なぜ朝鮮学校だけ差別されるのかがわかりません。早く権利を獲得できればいいなと思います。
1年間、寒い日も暑い日もたたかい続けることは大変なことです。そのためハルモニは、みんなのたたかう熱意が冷めないよう歌を作り、一緒に頑張ろうと励ますそうです。それゆえ、日本の人たちはハルモニを「広報部長」ハルモニと呼ぶのです。
私が初級部6年のとき、ハルモニが学校に来て少年団員たちに「火曜行動」に関する話を聞かせてくれました。
「…幼い頃は貧しかったけど、故郷の家のようなウリハッキョがあったから祖国が歩んできた歴史を学ぶことができ、人としてどう生きていくべきなのかを知ることができた。だから、命のように大切な朝鮮学校を守るため『火曜行動』に出ているの…」
そう話した後、ハルモニが歌詞を書き、ハラボジが作曲をした火曜行動のうた「坂道を上ると」を教えてくれました。大阪府庁までいくには長い坂道を自転車で上らなければならないのですが、この歌には、どんなにつらくても子どもたちのために向かうんだという思いが込められています。私は心の中で、一日でも早く「高校無償化」が実現され、補助金がまた支給されるようになればどれだけいいかと思いましたし、私のハルモニも引き続き活躍してくれたらと思いました。
(朴さんが送って下さった「コッソンイ」の挿絵です。)
私たちは翌週の火曜日、「정성이면 돌우에도 꽃이 핀다(雨垂れ石を穿つの意)」という横断幕を作って「火曜行動」に参加し、ハルモニが教えてくれた歌を思いっきり歌いました。
ハルモニがビラを配りながら、参加者たちを一生懸命写真に収める姿を見ました。そして、多くの同胞や日本の人たちが、どんなに無視されてもめげずにビラを配る姿を見て胸がじんと熱くなりました。そして、私もウリハッキョを守るため、もっと一生懸命勉強し、少年団生活を頑張らなければいけないと思いました。
「広報部長」ハルモニ!
私はこのあだ名が正しいと思います。ハルモニが歩んできた人生そのものだと思うのです。
私のハルモニは青森県で生まれました。あちこちへ引っ越しを繰り返した後、京都で住んでいたころはくず物を集めるため曾おじいさんが引くリアカーの上でウリマルを習ったそうです。なので、朝鮮の本を読むのも楽しく、兄さんと一緒に夜間学校で朝鮮の歌を教えることにもやりがいを感じ、誰よりもウリマルを愛し、異国の地でウリマルを輝かせたいという思いが湧きあがったそうです。現在は、初級学校で低学年の児童たちの学童の先生をしています。宿題を見て、本を読み聞かせており、学父母たちもとても喜んでくれているそうです。
定年退職するまでは、ウリハッキョの国語の先生でした。当時は日本各地のウリハッキョではじめて放送口演部を作り「가고가고 기여가고(朝鮮語の早口ことば)」先生と呼ばれるほど、子どもたちの話術の訓練に力を入れたそうです。
私は、ハルモニが先生をしていたその学校に入学し、学んでいることがとてもうれしいです。
ある日の音楽の時間に、ウリハッキョの校歌を習ったとき、作者の名前をみてとても驚きました。私のハルモニの名前だったからです。ハルモニは文芸同に属しながら、詩もたくさん作り、それが朝鮮新報やいろんな本に紹介されています。詩を書くのもすべて、在日同胞の歴史を歌詞に綴り、それを後輩たちに知らせるために作るのだそうです。なので、火曜行動に参加し、フェイスブックやブログを通じて宣伝し続けるのも、早く私たちの権利を獲得するため、同胞、日本の人たちがどれだけ熱心にたたかってきたのかを広く伝えるためなんだということが分かりました。
こんなハルモニだけど、家にいるときは普段どこでも見るような天然ハルモニです。ときには私が一度話したことを何度も聞き返すこともあり、些細なことに口うるさいときはめんどくさいと思うこともしばしばです。
すごいハルモニだけど、よくわからない行動をするときもあります。一緒に道を歩いていると突然立ち止まり、カメラで花の写真を撮るのですが、多いときは一日に100枚ほど撮るときもあります。予定通り進まず、イライラするときもあります。しかしあるときは、「ニトリ」というお店の名前を「トトリ(どんぐりの朝鮮語)」と呼び間違えることもあって、その一言で家中が笑いの渦に巻き込まれます。くしゃみをするときは「ハッピ!」と言うので、笑わずにはいられません。でも、オモニが忙しいときにハルモニの家に行くといつも、ごちそういっぱい用意してくれ、洗濯もしてくれるので、本当に感謝しています。
ハルモニは、私たちの成長記録を写真と、詩を書いて残してくれるので、やっぱり家の中でも「広報部長」なのだと思います。
わたしもハルモニになったら、私のハルモニのように面白いハルモニ、孫の自慢になるハルモニになりたいです。そして、孫たちに「ハンメはすごいな!」と言われるよう、いろんなことにチャレンジして活躍できるよう努力していきます。
1月23日に新報日本語版に訳されて掲載されていましたので、もう一度載せますね、時間のある方はお読みください。
〈第37回コッソンイ〉中級部1年・作文部門
「広報部長」ハルモ二
東大阪中級学校 1年 潤伊
日本の人たちは、私のハルモニを「広報部長」と呼ぶそうです。それは、今も続いている「火曜行動」に毎週欠かさず参加し、フェイスブックとブログを通じてその様子を広く知らせているからです。
今、大阪は橋下市長の差別政策によって補助金が支給されない厳しい状況にあります。しかし、同胞、アボジ、オモニ、先生、日本の先生たちがなんとしても「高校無償化」と補助金を獲得しようと、「火曜行動」を繰り広げています。
私は、なぜ朝鮮学校だけ差別されるのかがわかりません。早く権利を獲得できればいいなと思います。
1年間、寒い日も暑い日もたたかい続けることは大変なことです。そのためハルモニは、みんなのたたかう熱意が冷めないよう歌を作り、一緒に頑張ろうと励ますそうです。それゆえ、日本の人たちはハルモニを「広報部長」ハルモニと呼ぶのです。
私が初級部6年のとき、ハルモニが学校に来て少年団員たちに「火曜行動」に関する話を聞かせてくれました。
「…幼い頃は貧しかったけど、故郷の家のようなウリハッキョがあったから祖国が歩んできた歴史を学ぶことができ、人としてどう生きていくべきなのかを知ることができた。だから、命のように大切な朝鮮学校を守るため『火曜行動』に出ているの…」
そう話した後、ハルモニが歌詞を書き、ハラボジが作曲をした火曜行動のうた「坂道を上ると」を教えてくれました。大阪府庁までいくには長い坂道を自転車で上らなければならないのですが、この歌には、どんなにつらくても子どもたちのために向かうんだという思いが込められています。私は心の中で、一日でも早く「高校無償化」が実現され、補助金がまた支給されるようになればどれだけいいかと思いましたし、私のハルモニも引き続き活躍してくれたらと思いました。
(朴さんが送って下さった「コッソンイ」の挿絵です。)
私たちは翌週の火曜日、「정성이면 돌우에도 꽃이 핀다(雨垂れ石を穿つの意)」という横断幕を作って「火曜行動」に参加し、ハルモニが教えてくれた歌を思いっきり歌いました。
ハルモニがビラを配りながら、参加者たちを一生懸命写真に収める姿を見ました。そして、多くの同胞や日本の人たちが、どんなに無視されてもめげずにビラを配る姿を見て胸がじんと熱くなりました。そして、私もウリハッキョを守るため、もっと一生懸命勉強し、少年団生活を頑張らなければいけないと思いました。
「広報部長」ハルモニ!
私はこのあだ名が正しいと思います。ハルモニが歩んできた人生そのものだと思うのです。
私のハルモニは青森県で生まれました。あちこちへ引っ越しを繰り返した後、京都で住んでいたころはくず物を集めるため曾おじいさんが引くリアカーの上でウリマルを習ったそうです。なので、朝鮮の本を読むのも楽しく、兄さんと一緒に夜間学校で朝鮮の歌を教えることにもやりがいを感じ、誰よりもウリマルを愛し、異国の地でウリマルを輝かせたいという思いが湧きあがったそうです。現在は、初級学校で低学年の児童たちの学童の先生をしています。宿題を見て、本を読み聞かせており、学父母たちもとても喜んでくれているそうです。
定年退職するまでは、ウリハッキョの国語の先生でした。当時は日本各地のウリハッキョではじめて放送口演部を作り「가고가고 기여가고(朝鮮語の早口ことば)」先生と呼ばれるほど、子どもたちの話術の訓練に力を入れたそうです。
私は、ハルモニが先生をしていたその学校に入学し、学んでいることがとてもうれしいです。
ある日の音楽の時間に、ウリハッキョの校歌を習ったとき、作者の名前をみてとても驚きました。私のハルモニの名前だったからです。ハルモニは文芸同に属しながら、詩もたくさん作り、それが朝鮮新報やいろんな本に紹介されています。詩を書くのもすべて、在日同胞の歴史を歌詞に綴り、それを後輩たちに知らせるために作るのだそうです。なので、火曜行動に参加し、フェイスブックやブログを通じて宣伝し続けるのも、早く私たちの権利を獲得するため、同胞、日本の人たちがどれだけ熱心にたたかってきたのかを広く伝えるためなんだということが分かりました。
こんなハルモニだけど、家にいるときは普段どこでも見るような天然ハルモニです。ときには私が一度話したことを何度も聞き返すこともあり、些細なことに口うるさいときはめんどくさいと思うこともしばしばです。
すごいハルモニだけど、よくわからない行動をするときもあります。一緒に道を歩いていると突然立ち止まり、カメラで花の写真を撮るのですが、多いときは一日に100枚ほど撮るときもあります。予定通り進まず、イライラするときもあります。しかしあるときは、「ニトリ」というお店の名前を「トトリ(どんぐりの朝鮮語)」と呼び間違えることもあって、その一言で家中が笑いの渦に巻き込まれます。くしゃみをするときは「ハッピ!」と言うので、笑わずにはいられません。でも、オモニが忙しいときにハルモニの家に行くといつも、ごちそういっぱい用意してくれ、洗濯もしてくれるので、本当に感謝しています。
ハルモニは、私たちの成長記録を写真と、詩を書いて残してくれるので、やっぱり家の中でも「広報部長」なのだと思います。
わたしもハルモニになったら、私のハルモニのように面白いハルモニ、孫の自慢になるハルモニになりたいです。そして、孫たちに「ハンメはすごいな!」と言われるよう、いろんなことにチャレンジして活躍できるよう努力していきます。
もちろん、当面の目標は、「補助金支給の再開」と「高校無償化適用」が第一ですよ。貰った元気で頑張ります。
潤伊さんへのお礼を込めて あさ
孫にもコメントの内容伝えますね。
孫たちの学校生活を見ていると本当に充実しているようです。勉強にクラブ活動、ある時は学友たちとの楽しいお出かけ!どこを見ても日本の子供たちとなんら変わるところがありません、あるとしたら自分が朝鮮人であることを誇りに思っていることぐらいでしょうか。
子供たちは大人たちが思っているほど軟ではないようです。明るい笑顔がいつも背中を押してくれます。
ニョニョさんの生き方を理解し尊敬されている様子がよく伝わってきて感動しました。
広報部長の時のニョニョさんは、くまなく皆の写真を撮っている時も、「この坂を登れば~」を歌う時も全力投球、力強いニョニョさんですが(挿絵がよく画けてます!!)、ハルモニのニョニョさんはひょうきんだったり、ちょっと口うるさかったりと普段の一面が垣間見られて読んでいて楽しくなりました。
「雨垂れ石をも穿つ」すっかり忘れていた言葉に勇気図けられましたが、こんな覚悟を中学生に強いているのは大人の責任です。
穿つまでもなく解決しなくてはなりません。がんばりましょう!
掛けている通り私の日常は普通の天然です。こちらがより素顔に近いです。(笑)
「継続は力なり」を信じてこれからも頑張りましょう。