ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

8月24日、437回目の「火曜日行動」です。

2021-08-24 18:32:49 | 火曜日
へんな天候が続いていますが二週間ぶりに437回目の「火曜日行動」が行われました。








今日のレポーターはハルモニ会の陶山さん、写真撮影は松尾さんです。今日も心一つに発信してまいります。












火曜バンドは不滅です‼️






長崎さんの第一声始まりました。

長崎さん

 いよいよ8月もあと残り2回となりました。暑い中ですけどやはり秋が近づいてきている感じがします。今日は437回目の火曜日行動です。今日も朝鮮大学の学生さんが夏休みということもあってたくさん参加していただいていますので、今日は若者を中心にアピールをしていただきたいと思います。

冒頭に、今まで私たちと一緒にがんばってきてくださった、私たちにとって大切な仲間だった田中ひろみさんがお亡くなりになったことを申し上げてから始めたいと思います。

田中ひろみさんは、宝塚で朝鮮学校を支えるための活動、東北で震災があった時に朝鮮学校支援のためのチャリティーコンサートを開いたり、絵葉書を作ったり、いつもこの火曜日行動に参加し、日本人の責任として従軍慰安婦の方々の水曜デモをされていました。

田中ひろみさんは宝塚の水曜デモに参加されている中で倒れ、帰らぬ人となりました。田中ひろみさんが「朝鮮学校守ろう」といつもここで歌を歌ってくれました。その彼女の想いが私たちの中にしっかりある、それを受け継いでいくことが田中ひろみさんへの悼む思いだということを最初に申し上げて、スタートしたいと思います。





アピールのトップバッターは朝鮮大学の学生たちです。頼もしい‼️

大学生男性

ヨロブン アンニョンハシムニカ。ご通行中の皆さまこんにちは。そして大阪府庁にお勤めの皆さまこんにちは。

私は、今現在、表面上の現象だけに目を向けて、我々を差別する口実を探し続ける日本に、一言だけ物申したいです。この表面上だけを見るということはその裏に隠された本質から目を背けることでもあります。そして我々は長きにわたって続いてきたこの闘争の場で、常にその本質、歴史と寄り添い続けました。だから今さら私が付け足すことなどありません。

今の日本には、ただこの不毛な勝者なき争いを一刻も早く止めること、それだけを要求します。そして我々は一つ一つの闘争の中で負けることがあっても、この闘いをやめないこと、それ自体に大きな意味があって、そこに我々の勝利があると思います。闘い続ける限り負けないと考えていますので、これからもがんばります。





アピール続きます。

女性

アンニョンハシムニカ。私は朝鮮学校に通う、毎週火曜日行動に来ているソン・サヒと言います。今日は政治経済学部の来れる子、何人かでここにきました。

日本政府の方に申し上げたいことは、私たちは当たり前の権利のために今闘っていますし、今、当たり前のことが当たり前でないから、闘っていると言うことです。

日本人の方からしたら我々朝鮮人は、他の国の外国人と同じように思われるかもしれません。しかし日本に住む在日朝鮮人は、ただの外国人ではなく、歴史的背景をもって、過去の植民地があって、強制的にまたは生きる道を探して、仕方なく、背景によって渡ってきた人たちを先祖にもつのが私たちです。

なので、その保障として、当たり前に朝鮮人が日本で暮らしていけるように保障するのが当たり前であり、当たり前の権利を保障しなければならないと思います。それを勝ち取るために私も在日同胞社会も、今日本政府が高校無償化と補助金を支給しないことで朝鮮学校へ通えなくしてから、朝鮮学校の生徒の数が減っていくという政策をしているのですが、それに負けないように、私たち同胞社会を守っていくためにも朝鮮大学校で学び、勉強してからこれから守っていきたいと思う一人であるので、闘い続けたいと思います。

一緒に闘っていきましょう。コマッスムニダ。











アピールです。

男性

朝鮮大学校から来ました。何度もこの場に来て自分たちの権利を主張してきましたが、やはり、歴史的観点から人権的観点から見ても、自分たちが教育の保障を受けることが当然のことであるということが、皆さんわかっていると思います。

その権利を主張するのが正しいということで、こんなに暑い中、コロナのリスクがある中、たくさんの人が集まって、この場で主張しているのです。大阪府庁の皆さん、今一度、自分たちの声をもう一度聞いて、良く考えて、行動していただくようによろしくお願いします。












朝大生のアピール続いています。

女性

私は朝鮮大学校、外国語学部に通う2年生のキム・テマと申します。何度も火曜日行動に参加して、何度もマイクアピールもさせていただきましたが、私が伝えたいのはただ一つです。

私は在日朝鮮人で、ルーツは、朝鮮から植民地時代におじいちゃんおばあちゃんたちが生きる道を探してここに渡って来ました。そして日本という地で一生懸命生きて、朝鮮人というルーツをまた子孫・下の代に受け継ぐことによって、今の私がいると思っています。

私がルーツを当たり前に感じられるように、私も後輩たちに、当たり前に朝鮮人として生きることをあきらめさせたくないと思います。朝鮮人として生きることが恥ずかしくないこと、それは当たり前のことだということを、これからも訴え続けていきたいです。

後輩たちのためにもっと生きやすい、堂々と生きる社会にするために頑張っていきます。

































アピールです。

女性

私は今年朝鮮大学校に入学した1年生です。自分は今まで、朝鮮学校を通して、朝鮮人というルーツを知りながら幸せに生きてきました。でも、もっと堂々と生きられる社会に住みたいと思っています。

自分の弟たちも、小学校と高校に通っているのですけど、弟を含めた後輩たちに、堂々と朝鮮学校に通える社会にしてあげたいと思うので、もう一度考えてほしいです。これからも一緒に闘おうと思います。コマッスムニダ。





アピールです。

女性

私は朝鮮大学校政治経済学部法律学科で学んでいます。大学に入学してから法律を学び始めたのですが、憲法についてちょっとしか学んでいませんが、学ぶ過程でたくさんの違和感を感じてきました。

私たちは日本に住みながら、日本人と名乗るわけではないですが、しっかりと日本に住んでいる国民と言えます。私たちも同じ国民なのになぜ同じ権利をもらえないのかと、ほんとに疑問がたくさん現れてきます。

私はこれからも学ぶことがたくさんですが、そういう違和感を当たり前に感じず、一つ一つの矛盾に疑問を抱きながら、闘い続けたいと思います。これからも皆さんと一緒に闘っていけたらいいと思います。コマッスムニダ。


長崎さん

ここに来ている皆さんは、時には小学校の時、また大学生になる前、中学・高校の時にもこの火曜日行動に参加された、朝鮮学校で学んでこられた皆さんです。

次の代に差別を渡したくない、自分たちが堂々と胸を張って生きていけるのは、ハラボジ・ハルモニが日本の中で苦労しながら、在日朝鮮人として生き、その思いを次の世代に渡してくれたから、自分たちがいるのだ。そういう発言をしてくださいました。

以前にも朝鮮高校と日本の高校の交流授業をしたことがあります。その時朝鮮学校の生徒さんが、「ある意味で自分たちが生きた歴史なのです」と言われました。「自分がここにいるのは、ハラボジ・ハルモニが、日本の植民地になった中で日本に来た。そして今も私たちが朝鮮名を名乗り、朝鮮語で話し、日本の中で暮らしている。それは、私たちが歴史の証人だからじゃないですか」と言われました。

歴史の証人だからこそ、日本政府は過去の歴史を消すために、朝鮮学校を消そうとしている。その中で皆さんが頑張っておられるその思いを今日は語ってもらいました。

コマッスムニダ。



















オモニたちのアピールとシュプレヒコールと合唱は金曜行動に連帯して「声よ集まれ 歌となれ」です。

オモニから

私は朝鮮学校に子どもを送っている保護者の一人です。前回に元朝高オモニ会長が言っていたと思うのですが、この世界で私たちを行きにくくしているのは行政ではないかと、この一言に尽きると思います。

行政の差別があるからこそ、一般の人たちも同調し、学校では教えてくれないことなので、何も知らないまま大きくなって教員になり、公務員になったりしてる人たちが、安易に差別したりしている。この生きにくい社会を私たちは私たちの手で変えたいと、負の連鎖を断ち切りたいと、ここに毎週立たせてもらっています。

今日は北大阪のオモニたちと一緒に心合わせて、金曜行動の朝鮮大学校生と一緒に歌いたいと思います。

 歌 「声よ集まれ 歌となれ」

    シュプレヒコール      
・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな

・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ

・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ

・行政が差別するな

















































大村さんのアピールと最後の歌は「勝利のその日まで」‼️

大村さん

 今日もたくさんの朝鮮大学生が来てくれました。こんなに立派に育っていってるということは、朝鮮学校で育ってきて、自分たちの言葉、自分たちの文化・歴史、そういったものをしっかりとアイデンティティーとして育まれて、そしてここに立って、日本の社会の中で、自分も日本人と共に一緒にこの日本社会を形成していくという、そういう思いでこの場で述べてもらいました。

今日は8月24日、今日は何の日か。日本の敗戦後、1945年8月24日、浮島丸事件をご存知でしょうか。8月24日に青森県の大湊港を出た船です。その船には青森県の大湊の海軍施設や、三沢飛行場で、強制労働させられていた、朝鮮人の労働者・家族3700人余りと乗り組み員含めた4000人の人たちが、祖国が解放されたので祖国へ帰ろう、そういう思いで23日乗り込みました。そして24日舞鶴港に寄った時に、まだ真相はきちんと解明されていませんが、魚雷によって沈没させられてしまいました。

朝鮮人の犠牲者、549人。でもそのことは日本の中ではその当時、全く知らされてなかったわけです。しばらくたって韓国の方からの報道によって日本に初めてその事実が知らされました。その船は9年後に引き上げられ、そのまま遺骨が残っているわけです。その遺骨もまだ自分の故郷に帰れないで、東京の祐天寺にそのまま眠っておられます。

そういった日本の過去の歴史、そういったものを私たち日本人は、いろいろ知らないと思います。今、ちょうど舞鶴では慰霊祭が行われております。そういったいろんな日本の過去の加害の歴史を踏みつぶそうとしている。そういったものの象徴が朝鮮学校つぶしにかかっている政府・行政ではないでしょうか。

朝鮮学校をつぶすことによって、彼らのようなきちんと歴史を学んでいく人材をつぶしていくということ、このことを私たち日本人は、決して許すことはできないし、私たち日本人が、この日本社会がまっとうな社会になるためにも、朝鮮学校を絶対に私は日本人として守りたいと思います。その思いで皆さんと一緒に歌いましょう。

歌 「勝利のその日まで」

空を見上げよう ため息つかずに
奪われるものか 子どもらの笑顔
諦めるまい 断念するまい
進もう われらの道 勝利のその日まで

고개를 들어요 한숨을 거두자요
아이들의 웃음을 빼앗길순 없잖아요
포기를 말자요 단념도 하지 말고
전진만이 우리의 길 승리의 그날까지

  ( 作詞 許玉汝 作曲 金和美)
















いつものように駐輪場での申し送りです。
















朝鮮大学の学生たちに大きな拍手が送られました。


田中ひろみさんの告別式の様子等を方清子さんと井上淳さんが伝えてくださいました。











(在りし日の田中ひろみさん 合掌)




くっすんさんが今日もお疲れ様と言いながら愛のキャンディを配ってくれました^_^










来週も頑張ります、「勝利のその日まで」‼️ファイティン‼️

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