今年の『かるた名人』が決まったそうだ。上の句の謳い上げられるその瞬間、目にも留まらぬ速さで手が動く、札が宙に舞うような勢いで滑る。一瞬の技。
だが、私は、速さを競うこの『カルタ・ゲーム』がどうも肌に合わない。
子供の頃から、初めは絵札の”坊主めくり”、意味も解らないままのカルタとりと、お正月の部屋の中の遊びとして”双六””トランプ”などと一緒に楽しんできた”百人一首”は、大きくなるに連れて、その和歌の持つ意味、作者のことなどが理解できるようになると、益々一首一首の和歌を味わうことに楽しみを覚え、読み手が上の句を読みあげ始めると、下の句が浮かんできたり、あるいは「え、何だっけ」と焦ったりしながら、並べられた札の上に手を伸ばす。
和歌の持つ意味合い、余韻を味わう喜びは、古典への世界へのいざない、あるいは、微妙な四季の景色・様相や相聞歌は”恋”とは何かをまだ知らぬ思春期入り口の少女にとっては、鮮烈なまぶしい色合いの世界であった。和歌の持つ心を味わう、読みあげられる言葉の流れるような美しさを味わう、その余韻もなく、ひたすらにまるでスポーツ・ゲームのように、速さを競う、そういうのが極論だけど、なんか許せないとさえ思えてしまうのだ。(こんなこと言うと、名人の位を勝ち取るために研鑽を重ねてきた人たちには申し訳ないが)あくまで、個人的考えなんだけど。
孫達も今は専ら”坊主めくり”だけど、大きくなって自然に大和言葉や韻を踏む和歌の美しさ、古代から愛されてきた日本の素晴らしい四季などに、勉強とか押し付けられた愛国心ではなく、水が緩やかに流れるように、自然にそういうものを体得してくれたら嬉しいなと思う。メカニックなものや科学的思考力などは、身につきやすいが、日本という国に伝わってきた伝統的な文化、芸能、文学などは・・・『勉学』ではなく、できれば無理なく理解できる教育がなされて欲しいもの。私にとって百人一首の坊主めくりは、古典への入り口であったかもしれない。古典は、助詞だの助動詞などという文法の味気なさに、つかまらないようにして、文章そのものの持つ意味合いを汲み取っていけば、現代の小説などにも通じる面白さがあるものだと思う。
★小倉(おぐら)百人一首・・・歌人藤原定家(平安から鎌倉初め)が天智天皇から定家の時代までに読まれた和歌を一人一首ずつ100人、定家が選んだベスト和歌。定家が小倉山に住んでいたので、そう呼ばれたと覚えています。
★百首のうちにはやはり恋歌が抜群に多く、季節では”秋”(古の人は特に秋を愛したようです。少し物哀しい秋の風情は、日本人の心情にぴったりなのでしょう)を詠んだものが多いようです。(写真の本は、最近本屋で見つけて面白いなと思った本)
恋の歌を少し。平安時代は妻問婚。一夜を共にした後(後朝・・・きぬぎぬ)は、双方歌を交わします(相聞歌・・・そうもんか)・・・お互いの気持ちを三十一文字に託して・・みやびですねえ。でも、歌の才能ない人はどうしましょ。意訳はととろサン流で。
・長からむ 心もしらず黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ(待賢門院堀河)(恋とは移ろいやすいもの。貴方のの心がいつまで続くか解らない、昨夜の寝乱れた黒髪のように、私の心は乱れて悩んでいるのです。昨夜はあなたの腕の中で幸せでしたのに)
・明けぬれば 暮るるものとは知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな(藤原道信朝臣)夜が明ければ、また日暮れがくるということは解っているが、それでも貴女と離れなければならない明け方が恨めしい。一分一秒でも貴女と一緒にいたい私の心を解ってくださいという若い貴公子の恋の歌)
・逢ひみての のちの心に比ぶれば 昔は物を思はざりけり(権中納言敦忠)超の字がつくような有名な恋歌。貴女と過ごした後の心に比べると、あなたを知らなかった以前は恋というものを知らなかったようだ。今は貴女のことばかりを考えている私の心です。
後朝の歌ではないけど。
・来ぬ人を まつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ(藤原定家)来ない恋人を待っている私の心は、まるで松帆の浦で焼いている藻塩の火に、この身が焦がれているような想いです。和歌テクニシャンの定家は、松浦の浜辺で塩を焼く風景を描きながら、掛詞で恋焦がれる切ない恋心を謳ったのでしょう。
夜を共に過ごした後に歌を詠む、これって、凄いことなんだが、和歌として詠まれると、ロマンティックで、素敵な感じがするものだ。 きりがないなあ。やめよう。私にとっては、百人一首は早さを競うものではなく、古の人の綾なす言葉を楽しむためにある、お正月の遊びなのです。
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