風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

被差別民と東北 ~逆転~

2015-12-02 10:09:24 | 岩手・東北





日本古来の神道の基本は、自然崇拝と祖霊信仰。

人はすべからく「神」の子孫、祖霊は神に繋がり、神はすべての「根源」に繋がる。


今でこそ祖霊崇拝は仏教に取り込まれていますが、元々仏教には先祖供養などという概念はなかった。日本の仏教だけが先祖供養を大々的に喧伝しているのです。

何故、神道の重要エッセンスであった祖霊崇拝が仏教に移ったか?


おそらくは、仏教の猛威に日本古来の神道の衰退を危惧した「誰か」が、日本神道の重要エッセンスである祖霊崇拝を、仏教に取り込んだのでしょう。


それが誰かはともかく、そうした知恵者によって、祖霊崇拝は衰亡の危機をとりあえずは免れたわけです。



神道にあった祖霊崇拝の残滓は、先述したように神社の祭りにおける、「特定の人々」による主要神事の独占というかたちで残った。


主要神事を行える人々とは、その祀る神の「霊統」に最も近い「子孫」なのでしょう。



その「しきたり」は、たとえそれが、死穢を纏いし「被差別民」であろうとも、厳格に守られた。



仏教によって齎された殺生罪障観は、日本古来の穢れ観と結びついて変容し、死穢の観念を生む。

そして、縄文の遺児たちを、差別の中に閉じ込めた。



また、神道から祖霊崇拝を切り離しもした。



しかしそれによって、我が国にとって「大切」なものが守られて来たのだね。



なんとも不可思議。

なんとも精妙。



まこと神意とは、はかりがたし。


社会の底辺に追いやられた人々が、実は我が国にとって、最も「尊い」人々であったとは。




真実はすべて逆。











なかなか終わりませんねえ(笑)風の向くまま〈続く〉

で、ありやす。




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