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その日その時、感じたままに。

鬼死骸村の伝説 その② 由来

2021-04-22 15:54:30 | 岩手・東北

 

 

 

『復刻版 真瀧村誌』より

往古、吾勝郷桜野壮ト云ヒ、延暦20年、坂上田村麻呂、大武丸ノ賊従ヲ退治シ、其死骸ヲ埋メ置キタル。

ヨク鬼死骸トイフ

 

つまり、往古は吾勝郷の桜野壮と言われていた村でしたが、坂上田村麻呂によって退治された賊徒、大武丸の死骸を埋めたところから、鬼死骸と言われるようになった。

 

桜野壮なんて雅な村名から、鬼死骸なんて、凄い落差です。大武丸という賊徒=鬼の死骸を埋め、その上に置いたとされる大石は鬼石と言われ、今でもその堂々たる姿を見ることができます。

この鬼石の延長線上の丘の上に見えるのは、田村麻呂による創建と伝えられる鹿嶋神社の鳥居。

この構図、私には鹿嶋の神が、この鬼石を見張っているかのように感じられ、田村麻呂による鬼封じの痕跡なのだろうか、なんてことを想像してしまいます。

 

さて、この言い伝えの背景について、もうちょっと掘り下げてみたいと思いますが、それはまた、次回。

 

つづく。


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2 コメント

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Unknown (チャメゴン)
2021-04-23 09:22:53
桜野壮が鬼死骸村になっちゃうってびっくりですね。
でも坂上田村麻呂公が、神社の神となってなお、鬼死骸を見張っているとは、村の人々にしてみれば本当に神様みたいな存在ですね。
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Unknown (薫風亭奥大道)
2021-04-24 04:48:42
チャメさん、田村麻呂は大人気のスーパーヒーローでした。が、別の視点から見れば……。
歴史は視点です。どこに視点を置くかで見え方は違ってきます。
これが歴史の面白さってことで。
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