風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

われら親子、冥府魔道に生きるもの

2014-03-18 13:43:26 | 名ゼリフ


なんだかシリーズっぽくなってきたなあ。




小島剛夕、小池一夫原作による劇画『子連れ狼』。

元公儀介錯人・拝一刀が、一子・大五郎とともに冥府魔道の刺客道を歩み、宿敵である裏柳生とその総帥・柳生烈堂との対決に挑む。

若山富三郎主演の映画として制作されたのが、映像化の最初なのですが、若山先生版は殺陣は派手ですが、若山先生自身のふっくらした体型が、原作のイメージと合わず、私としてはどうにも違和感を禁じ得ませんね。

やはり『子連れ狼』といえば、1973年から1976年にかけて日本テレビで、3シーズンに渡って放送された萬屋錦之介版でしょう。




                  




公儀介錯人とは、簡単に言えば「死刑執行人」です。

ただ首を落とす相手は大名以上の位の高い武家の者に限られており、介錯をする際には、徳川将軍家の家紋、三つ葉葵の紋をつけて執行するのです。

つまり、幕府の権威の執行を代行する者という位置なんですね。

将軍家の家紋を身に着けられるということは、それだけ幕閣内でも高い地位で優遇され、発言権も強くなる。

そこに目をつけたのが、裏柳生の総帥、柳生烈堂でした。

裏柳生とは、将軍家を陰から補佐する、いわば「影の軍団」のような存在で、暗殺等の汚い仕事をすべて遂行する一族。

柳生烈堂はその立場を生かし、将軍家を裏から輔佐しつつ、実質上の政治的実権を握ろうと画策します。

その一つとして、公儀介錯人の役職を柳生家のものにしてしまおうとするんです。

拝一刀は罠を仕掛けられ、謀反の罪で捕縛されようとします。その際、一刀の妻・あざみが柳生の手に掛かって殺されてしまう。

怒りに震える一刀は、怨敵烈堂を倒すため、役職を捨て、一子・大五郎とともに冥府魔道の刺客(殺し屋)道を歩む。

もっともこの公儀介錯人ですが、これは完全な創作なんです。実際にはそんな役職はありませんでした。

よく出来てるでしょ?これで騙された人は相当多かったと思いますよ。

裏柳生なんてのも創作だし、烈堂は架空の人物だし、その他、柳生黒鍬衆だとか、将軍家お口役とか、架空のものがバンバンでてきます。その辺りの設定が実によく出来てる。



一刀が冥府魔道を行くことを選ぶ際に、大五郎にどうするかを選ばせるんです。

その当時の大五郎は、まだ生まれたばかりの赤ん坊。一刀は畳の上に鞠を一つと刀を一振り置いて、大五郎にどちらを取るか選ばせます。

大五郎が鞠を選んだら、大五郎とともに一刀も自害して果てる。しかし刀を選んだら

ともに、冥府魔道の道を行く。

年端も行かぬ赤ん坊にそんな選択権があるのか!?と思われるかも知れません。しかし日本には古来

「子供は3歳まで神のもの」

という考え方があったようです。つまり当時の大五郎のような、生まれて間もない赤ん坊は、それだけ神に近いんですね。

一刀は大五郎を通して「託宣」したということでしょう。神あるいは先祖の意志を確認したんです。

これは一刀一人のエゴではなく、神、先祖の意志である。

大五郎は刀を選び、だから一刀は、迷わず冥府魔道の刺客道、地獄道を歩むことを選んだ。

大五郎とともに。

なんだか涙を誘うじゃありませんか。その行動は愚かとも思われ、哀れとも思われ

けな気とも思われ。



人としての道を踏み外し、復讐の鬼に生きる。拝親子は人の道を捨てたが故に、その絆はより強い親子の情愛で結びつけられる皮肉さ。

巨悪を倒すために、自らも悪となった親子の悲劇でもあるとも捉えられ、単なるアクション時代劇ではない奥の深さを感じさせます。

一体、善とは何であるのか、悪とは何であるのか。

70年代には、こういう奥深さを持った時代劇があったんです。






愈々、宿敵柳生烈堂との対決の日。一刀は大五郎に尋ねます。

一刀「大五郎、川は何処へ流れる?」

大五郎「海!」

一刀「そうだ、川は海へと流れ、やがて天に昇って雲となる。雲は雨を降らせ、雨は川に降り注ぎ、また海へと流れ行く。
人の命もまた同じだ。生まれては死に、死してまた生まれ来る。
儂もそなたもいずれ死にゆく。そしてまた生まれ来る。その繰り返しの中で、未来永劫、父は我、子はそなたぞ!」



日本人の死生観、世界観、武士道というもの。

私はこのドラマから、随分多くのものを学んだように思います。

ある意味、私が「世界」というものを捉える上での、一つの原点と言えるかも知れません。

善のように見える悪、悪のように見える善。

心に一本、芯が通ってなければ、すぐにブレてしまうのがこの世の常。



なんであれ、どうであれ、最後は「覚悟」ということ、か。






名ゼリフシリーズ、今後も続きますかどうか。

乞う御期待! 

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6 コメント

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実は、僕も子供に、 (Unknown)
2014-03-18 18:21:32
同じ感覚で、迷子ななったときも、大事な判断にも、一人の人間として、たずねてました。
遠慮ない好き嫌いで、困った事もありました。
ぜんとあくは、同じだと想いました。自分の中には、自分は自分を信じる。後は全てお任せ人生です。斬る覚悟は、斬られる覚悟ですし。バランスが崩れれば方向が変わるだけ。
だから、仲良く出来ます。継続の努力が覚悟ではないでしょうか?諦めがない。自分を信じるが自分を動かす。結果は未来に知るでけでした。情けは自分のものと想うのです。
誰であれ、どうであれです。お疲れ様です。ありがとう御座います。
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Unknown (薫風亭奥大道)
2014-03-18 19:15:49
素晴らしい!
善と悪は表裏一体。斬る覚悟は斬られる覚悟。自分を信じて行けば、なんであれ、どうであれ、悔いはない。
素晴らしい!
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懐かしい (美樹枝)
2014-03-19 13:11:05
「紋次郎」さんの頃…男子達が例の台詞と共に長楊枝?をプッと吐く仕草に、流行りの時代劇なんだぁ~ くらいの感覚でした。 でも、関わらないと言いながら関わってしまう彼の優しさが、子どもながら感覚的に好ましかった~。上条恒彦さんの主題歌も「心は昔死んだ」なんて…切なくも、最後にいちるの希望に触れた曲で素敵でした。 しか~し、萬屋錦之助さんの「子連れ狼」は衝撃でした。 大人っぽ過ぎて「ハハ~」という感じで、たまに隠れて?観ていました。夜遅い時間だったような。   「冥府魔道」という言葉が魅惑的でした。 少年ぽい漫画を描いていた私は銃が大好きで、殺し屋さんのシリーズ漫画絵コンテ描いてまして、も少し描けるようになってから友達に見てもらったら意外に好評でした。原点は萬屋様のこの作品だったのかも(畏れ多い~)。 「残菊の宿」という章があるそうですが、全く読んだこと無いのにタイトルだけ同じにして描いたことも有りました(素人だから良いか…なんて)。 今では懐かしい思い出です。 萬屋氏の演技とは子どもながら感じる迫力と切なさに満ちていました。 ちょっと引くくらい、怖いくらい。   あ~母が若い頃、萬屋さんの奥様だった淡路恵子さんに、よく似ていました。 「 自分の亭主(父)以上の男はいない」と今も言います。 萬屋氏を大尊敬していた淡路恵子さんと重なります。 私事ばかりごめんなさいです。
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Unknown (美樹枝)
2014-03-19 13:25:07
わわわ… 錦之介様の介、間違っていましたね! す、すみません… 雰囲気が全然違ってしまふ~
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Unknown (薫風亭奥大道)
2014-03-20 04:43:40
美樹枝さん、確か夜10時からの放送だったと思います。今のテレビでは過激すぎて出来ないような表現が随分ありましたからね。私も放送当初はあまり見れなかったんですよ。後々の再放送でちゃんと見たクチです。
萬屋さんの演技はホントに凄かった。元々歌舞伎の世界の方ですから、セリフ回しにちょっと歌舞伎っぽいところがあって、それがダメな人もいたんだけど、私は大好きでした。
柳生烈堂と拝一刀が対峙する場面で、お互いの名前を呼び合うんです。烈堂役の佐藤慶さんが「拝一刀!」と、割と普通に呼ぶんですね、すると萬屋さん演じる一刀が「柳生……れ~~~~つでゅぅぉぉぉおおおおお!!」(笑)。これモノマネしてました(笑)
お母様はお綺麗な方だったんですねえ。
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Unknown (美樹枝)
2014-03-20 17:44:46
薫にいさんの記事コメント欄に、自分のことばかり書かせて頂いて申し訳ありませんでした。凄く恥ずかしくなりました。   今は普通のおばあちゃんの母に「父のどこを尊敬してたの?」と聞いたら「金儲けして出す時は惜しみなく出す」だそうです。全然ロマンぢゃなかった。
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