風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

座頭とイチ ②

2017-05-18 09:35:57 | 歴史・民俗





民俗学の泰斗、柳田国男によれば、「イチ」とは「宗教芸能者」のこと、だそうです。



御神前にて神楽を奏する者たちから、託宣、占い、神おろし、口寄せの類い、正月や祭礼などの「ハレ」の日にその「芸」を披露する者たちのこと、をイチと云ったようです。


「芸」という言葉には、現代よりも広い意味があぅたようで、例えば「武芸百般」という言葉があるように、武術の類いも「芸」と称していました。芸とは、その人の生業の、特殊技能のことを云ったわけです。



さて、この柳田国男の説を受けて、民俗学研究科の筒井功氏は、その著書『葬儀の民俗学』の中で、「イチは『エタ』の語源である』とする説を唱えました。

イチが転訛してエタになった。「イ」が「エ」に訛るのは分かるにしても、「チ」が「タ」に訛るものだろうか?私には今一つピンとこないものがあります。

しかしながらこの著書には、なかなか面白いことも多くあって、その一つに日本中の「イチ」地名に関する考察があります。



「市ヶ谷」「一ノ瀬」「一の谷」「市野々」など、「イチ」のつく地名はかつて宗教芸能者たちが居住していた、あるいは漂泊の一時的仮宿の場であったのではないか、とする考察です。

一の谷はあっても二の谷三の谷がないことなど、数字や順番と考えたのでは納得のいかない場合が多いことなどから、この「イチ」は宗教芸能者たちのことではないか、というんですね、これはなかなか面白いと思います。


もちろん、「一宮」などのように明らかに数字の一から来ている地名もありますので、そこは区別しなければいけませんが。


あるいは、市場の「イチ」から来ているのではないかとする説もあるでしょう。それもあり得ます。ただこの市場については、民俗学勃興の一方の祖である折口信夫によれば、抑々市場とは神を祀る神聖なる場であったのだ、とされています。

確かに、寺社の門前などで市場を開く例はよくありますね。これが折口説に寄るところの名残であるなら、市場には当然、宗教芸能者たちも集まったはず。そうした人たちをも市場にちなんで「イチ」と呼んだとしても、なんら不思議はないように思われます。



この「イチ」地名については、私にも思い当たることがあります。私が住む町の中心部から遥か山側に寄った辺りに、かつて「市野々村」と呼ばれていた地域があります。今でこそただの辺鄙な田舎ですが、かつては奥州街道の通る交通の要衝であり、それなりの賑わいもあった地域です。

この地域には、以前紹介した信仰の山、自鏡山があって、その祭礼の際には近郷近在より多くの人々が集まったはず。

ですから、そうした折には当然、「イチ」たちもあちこちから参集したことでありましょう。


市野々とはつまり、それほどに多くの「イチ」たちが暮らし、あるいは参集してくる地域であったことから、「イチの野」=「市野々」となったのではないか、と考えられるわけなのです。



自鏡山には古くから伝承されている神楽があり、現在でも地元の保存会の方々によって折々に舞われています。かつては山伏によって舞われていたというこの神楽のルーツは、あるいは「イチ」たちによる、神に捧げる舞であったのかもしれず、それが山伏によって神楽として整備された。

なんてことを、考えておる次第。




芸能民が被差別民であったことは、今まで再三述べてきた通り。中でも宗教芸能民はその情人にはうかがい知れぬ、神秘的な技芸に畏れを感じながら、一方ではその漂泊するみすぼらしい姿に、零落した聖者のみじめさも感じ、蔑みもした。そうした両極端の感情が人々の心の中に渦巻いたことでしょう。


差別とは、そのような複雑な感情の中から生まれるものでもあるでしょう。







さて、この「イチ」と、座頭市の「市」との間にどのような関連性があるというのでしょう?



ここから先は、完全な私の妄想です。近頃はあちこちで妄想が流行っているようなので(笑)私も流行に乗って、妄想話の展開させることにいたします。



続きます。