京都の長岡京市会議員の小原明大(おはらあきひろ)です。九小・三中・西乙・神戸大卒。ツイッター・FBもお願いします。
おっはー!



東京都知事選を考えるときに、よい論考に出会いました。

必要なのは候補者一本化ではなく共同のための論争~編集長の冒険


<引用>

国民世論の前進のなかで、保守のなかにも矛盾が生まれ、脱原発をかかげる保守というものが生まれてきた。協力が深められれば、国民世論の多数派から政治の舞台の多数派へと向かえる局面が、ようやく目の前にあるのである。



これですよ。

前向きな情勢です。前向きな論争で未来を切りひらくときです!



さて、話はお正月にまで戻り・・・

このお正月、複数の友人が薦めてくれた「永遠の0」を鑑賞。

そして、宮崎駿はどう描いたのかなと思って、観てなかった「風立ちぬ」も観てきました。零戦について深めた正月です。



「永遠の0」は、安倍首相も観たと報道されています。

「感動した」とのことでしたが、為政者ならば、あの戦争はなぜああだったのか、そこに関心がいくはずと思うのですが・・・。



懸命に生きた登場人物の姿に心打たれれば打たれるほど、戦争の理不尽さがすごく際立って感じられました。

なんでや、なんでこんなことが・・・との思いがずっと離れませんでした。



「風立ちぬ」でも、限られた時間を精一杯生きる姿に感動させられました。そこは同じです。

しかし、その生きてきた道そのものを「尊い」と言わんとしているかどうかは、「永遠の0」とは違う気がしました。



「風立ちぬ」では、零戦の元になった九試単座戦闘機の完成までをとても丹念に描いているのに、その後一気におびただしい戦闘機の残骸のシーンとなります。

そのあっけなさに、容赦ないものを感じました。



一方で「永遠の0」では、三浦春馬が合コンで「特攻なんて自爆テロと同じ」と言われて激昂し反論します。

「違う!一般市民を無差別に巻き込む自爆テロとは全然違う・・・。」

もっと尊いものだと言いたい。観ている私たちも、思わずいっしょになって怒ってしまいます。



たしかに愛する者のために、という想いはとても崇高です。

でも、見る角度を変えれば、自爆テロと変わらない面も厳然とあります。

相手から見れば、侵略国家の兵隊が、間違った国策に殉じてるわけですから・・・。



戦争という環境下で、精一杯生きていた人たちは、今の私たちなんかが及びもつかないほど濃く、深く生きていたのだと思います。

しかし、それが結果として「尊い」ことだったか。それを宮崎駿さんはシビアに描いたのではと・・。



ただ、宮崎駿さんは「堀越二郎(と堀辰雄)に敬意を込めて」と書いています。

この「敬意」というのはとてもしっくりくる気がします。

「尊い」と言うことはできない。でも「敬意」をもっていますと。



反戦を訴えるとき、当時を生きた人たちへの「敬意」を欠くように見えれば、それは共感を広げないでしょう。

人間への深い敬意と信頼に立脚して、反戦を訴えるようにしたい。





国道171号線のジョーシン前、名神ガード下の水たまりがひどく思いっきり撥ねられるという声があり、国土交通省に伝えたところ、10日ほどで返事がありました。

「道路のセンターがへこんでいて、水路への開口部に水がいかなくなっているので、舗装をやりかえ、開口部も小さいので可能なら広げます。2月か3月中にやります。」とのこと。


国交省、仕事が早い~!

この工事と同時に、市を通じてお願いしてた電産シンポ前の交差点の歩道のへりの水たまりも改善されるとのこと(^^)



写真は国交省に送ったもの。



お気づきの方もいると思いますが、最近拙ブログはフェイスブックの過去記事のコピペです。

いち早く読みたい(?)方は、フェイスブックで友達になったりフォローしてくださいませ。


クリックお願いします→



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 東京の、日本... セレマ説明会... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。