あけぼの

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不安、親切、恐怖、とアップダウンが激し過ぎた国~ガイアナ共和国~

2016-02-08 09:23:01 | 旅行記、多文化教育、国際

  深夜のタクシー:  世界一危険な街と聞くガイアナの首都ジョージタウンへ、深夜着の飛行機便だった。乗り換え空港のトリニダード・ドバゴで夫婦とも持ち金とクレジットカード類を身体とバッグ類の4か所に危険分散し、「命の金」100ドルずつをすぐ差し出せるよう目立つポケットに入れ準備完了。空港で近づいて来た運ちゃんの中から温顔の人を選び出発、緊張で固まったまま1時間余、予約したホテルへ。約束通りの金額だった。やれやれ!宿直が鉄の門扉をガチャンと開けてくれたが受付もいない安ホテル。道路沿いの部屋をくれ煩くて眠れず、無事を祝うには情けない第1夜だった。翌朝9時出勤してきた受付嬢タミーは結構良い朝食を持参したが我々以外には客の無いホテルだった。眼下は水路、というよりゴミの川だった。 ミニバスでダウンタウンへ。シティーホール(1889年)や聖ジョージ大聖堂は古い木造建築で立派だが汚れや錆びで痛々しい。管理が難しいのか。アフリカを歩く感じで街にラテンのムードはない。高校生グループと暫しおしゃべりを楽しんだが、日本のことを聞きたがった。綺麗な英語だ。1814年、オランダ、英、仏、3国でのギアナ分割統治が決まりガイアナは英国領となった。この街を歩くときはバッグをギュッと抱える必要がある。。初日は無事、翌日ちょっと怖い事件が・・・(続く)(彩の渦輪)写真1、おしゃべりした高校生と 2.聖ジョージ大聖堂 3.安ホテル前の水路


無事の帰還を祝ってくれた獺祭(ダッサイ)と若者たち

2016-02-07 10:17:43 | 旅行記、多文化教育、国際

  左智子先生 左智子さんはうら若い幼稚園の先生。教免講習で会いそれ以後O 地球村塾Partyに参加してくださり、LINEの友達でもある。若者はLINEが得意だが、LINEというのは確かにメールより便利だ。筆者のメールのプロバイダーはocnだが、このプロヴァイダー、今年から海外では受信は出来ても送信は出来ないようにしてしまい、不便極まりない。その点LINEはプロバイダー無関係で、世界のどこを歩いていてもiPadで簡単にやりとり出来る。なんと左智子先生がちょこちょこLINEくださるので世界各地からやり取りをした。「今幼稚園の帰り道、月がきれいです!」エトセトラ、かわいいメッセージも多いが、ある日:「獺祭見つけましたよ!」「無事帰ってきてください。お祝いしますから」と。フロリダ州はマイアミ空港で、トリニダード・ドヴァゴ空港で、スリナムやガイアナでもLINEでやりとり。今回の過酷だった旅を伝えたので今か今かと帰国を待ってくださった。獺祭を準備して

 さて、獺祭とは?阿部首相がオバマさんをおもてなしするのに準備した首相の郷里の酒だ。この首脳会談以来お値段がぐ~ンと上がったみたい。O地球村塾Partyでよくサックスを演奏してくださるTさんが先頃のPartyでこのお酒をご披露なさった。引っ張りだこで瞬く間に参加者のお腹へ。主催者の筆者は一滴も味わえなかったが、空瓶を眺める筆者の顔を左智子ちゃん先生は覚えていたのでしょう。Party後探し求めて入手、筆者夫婦が南米から帰るのを待ちかね、獺祭持参で「無事帰還祝賀会」を開いてくださったという次第。PC Workをいつも助けてくれる好青年、桂君も一緒に、2人の若者から無事帰還の祝賀とエネルギーを頂いた。獺祭を知るきっかけを作ったTさんにその場で「獺祭ありますよ!」とTel したらすっ飛んで来られ、獺祭が取り持つご縁で笑声の絶えないホームパーティーだった。(彩の渦輪)


シニアでも頑張ってます!:二階家の功罪

2016-02-02 08:50:20 | 旅行記、多文化教育、国際

都会に住む普通の給与所得者は二階家の住まいになってしまう。広い土地取得が困難だからだ。かく言う筆者もそうだ。何十年と住み慣れ、馬令を重ねると毎日が物探しだ。二階への上がり降りも何度もやる。脳機能が減退したのか2度、3度と同じ所を探すのだから自分でも嫌気がする。「今日も始まったか!」、「心の目で探せ!」と自分に言い聞かせる。二階家のお蔭で足腰は鍛えられるが老化による物忘れは日を追って度合いが深まるようだ。平屋なら楽だろうと思うこともしばしばだ。もともと狭い家なのにどうして捜すのに手間取るのか分からない。探しものは出てこなくても痛痒ないのだが、ただ気になるだけだ。「忘れるのが当たり前の年齢になったんだ!」と恐れるのだ。

 二階家の長所もある。加齢は運動神経に影響するので階段の上がり降りは危険と言われるが、運動機能は使うことにより活性化を期待出来る。二階を活用するのもシニアの健康対策と考えるべきだろう。我が家は吹き抜けのある小さい二階家だから足を踏み外せば大変なことになる。その分注意力が伴なうので動作が慎重になる。頭脳と手足の連鎖反応が何歳まで働くか「物忘れと階段の功罪」をテーマに抱き、84歳のシニア、寒さも克服したく自らに気合いを入れている。そう言えば上半身の下着は半袖のままですゾ。(自悠人)


3か月ぶりの多摩川土手は火事直後だった:枯草燃え住民ひやひや

2016-02-01 12:01:16 | 旅行記、多文化教育、国際

  先月末、久方ぶりに多摩川土手に上がったら…消防自動車4台とパトカー1台がいた。消防車は国立市から2台、谷保1と谷保2、立川市から2台、錦町1と錦町2、そこは国立市と立川市の境界あたりだったからだろう。近隣住民の立ち話に仲間入りした。「すごかったわねえ、土手下の家が類焼しそうで心配だったわ!」「多摩川堤防なのに川の水は少ないし、土手のこちら側では給水が難しいんだって!」。一人の奥様に抱っこされた猫ちゃんが「ニャンとかなりましたニャーン!」と安堵顔。

多摩川土手の散歩は実に3か月ぶり、11月は入院手術、退院してすぐにアメリカ経由南米はガイアナとスリナムへ。またアメリカに舞い戻り、ついでにクリスマスも年末年始もアメリカで、と40日も日本を留守にした。が、気力で頑張る夫婦ゆえ、優雅なホリデーのあと帰国後に疲れがどっとでた。夫婦とも体調が戻るに時間がかかったが、やっと多摩川土手を歩く気になった次第だ。「人生ニャンとかなる!」という写真集早く買いに行きたいが、近くの本屋さん「よむよむ」が閉鎖、不自由だ。小さなお店がどんどんつぶれる「ビジネスのグローバル化」はニャンとかならニャイのが悲しい。(彩の渦輪)