あけぼの

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旅の図書館と「感性の森」

2011-03-04 15:01:18 | アート・文化

 東京駅八重洲口側に「旅の図書館」がある。世界の航空会社の発着都市と時刻表OAG  を調べに行った。今年は結婚50周年記念イヴェントとして世界一周の旅を計画しているのだが、日程表を作成にあたって航空機のルートと頻度が必要だからだ。乗り継ぎのための無駄を省くためもある。アメリカ発で6大陸を訪問、地球の南端の岬を巡り、その拠点、拠点で興味のあるところにも立ち寄るつもり。OAGを見たら思わぬ都市へ思わぬ都市から飛行機が飛んでいる。必要経費を考える必要がなかったらこの一冊の本で楽しく旅が出来ることを知った。未知の世界は想像を逞しくし期待を増幅させる。

 

引き続き渋谷にレイチェル・カーソンの「感性の森」の映画を見に行った。ご存知だろうが彼女は環境保護のパイオニア、有機リン製剤、DDT等の無制限散布で自然を破壊し、鳥も鳴かない春の来ることを予言し「沈黙の春」等の出版活動を通して社会に訴えた人。20年前アメリカに転勤になった折、ワイフは近くの図書館に行って本を借り出したが、真っ先に借りたのがこの「沈黙の春=Silent Spring」だったという。生物学者の詩的な文に魅せられ啓発され、その後「Lost Woods」や「The Edge of the Sea」も買って読んだそうだ。我々夫婦はたまたまUSはメイン州を旅行していた折、偶然立ち寄ったのが彼女の別荘と周りの海辺だった。この場所で彼女は殺虫剤、農薬その他、化学業界による自然破壊を嘆いて「沈黙の春」や「センス・オブ・ワンダー」を執筆した。我々が訪れたその森や海辺の環境が映画で見られ懐かしかった。彼女の死後アメリカでは3つの法律が出来、今はようやく全世界が地球破壊の対策に取り組んでいる。

久しぶりに都内に出て感じたことは「毎日外出しなさい。どこかに奇跡が待っている」だったが、帰りの電車の中は携帯電話使用とマスクだらけの「沈黙の冬」だった。自悠人(Mar.3, 2011


フェイスブック・Facebook

2011-03-01 10:59:02 | アート・文化

最近の驚きはフェイスブック(Facebook)だ。筆者がFacebookに登録したのは丁度2年前、アメリカで、だった。カレッジで副学部長のDr.Howellさんに手伝ってもらって登録した。しかし日々忙しくもあり、あまり関心もなく、時たま知人から友だちリクエストがあっても放置していた。既に友だちなんだからFacebookの中でまで必要ないと。ところが最近富に友だちリクエストが増え、Facebookの自分のサイトにいってみたら驚いた。以前どこかで会ったことのある人々が画面の周辺で微笑んでいるのだ。ウズベキスタンで遇ったAziz, ノルウェイで会ったマーティン、アメリカの友人、教え子等、知っている顔が次々浮かんでは瞬く間にまた別の知人の顔に変わっていく。「あ、この人がなぜここに?」と驚くことの連続だった。つい先日の筆者の誕生日には教え子や親友5人から“Happy Birthday!”が来た。「よく気づいてくれたことだ」と感心することしきりだったがプロフィールをみたのか。察するに過去出会った知人が筆者の名前を検索し、プロフィールで確認して友だちリクエストをし、待っているのか。

チュニジア、エジプト、リビアの民衆蜂起はFacebookのお陰で驚異の展開を見せたが、アメリカのFacebookも一層活発化したのか。Facebookでは登録者の顔写真の下に友だちの人数と友だちの顔が見え、その認め合った友だちサークルの中でテーマを出しあい、自由に会話し合っているのだから、会話が盛り上がれば確かに大きな行動力が生まれるに違いない。めったに会えない外国の友だちを持つ人が同じ広場・土俵で同時に会話出来るのは便利だろう。と理解はするが、今のところフェイスブックのサークル内での討論に参加するほど時間がない。

気のせいかFacebookが活発化するにつれ通常のEmailの受信が減って来たように思う。Facebookを使って気心の会う仲間内で同時に会話し合っているのだからだろうか。郵便の個人レターが減って来たようにE-Mailも減っていくのだろうか。時代は音を立てて変わっている。FacebookはおろかE-mailもやってない同世代も未だ日本には多いが、どうせ時代遅れになるのならそんなことやらないのも見識かも。PCという箱に向き合うより”Get outside everyday.  Miracles are waiting everywhere!” Mary Fisher)(毎日出て行こう!どこでも奇跡が待ってるよ! (彩の渦輪)