あけぼの

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フェイスブック・Facebook

2011-03-01 10:59:02 | アート・文化

最近の驚きはフェイスブック(Facebook)だ。筆者がFacebookに登録したのは丁度2年前、アメリカで、だった。カレッジで副学部長のDr.Howellさんに手伝ってもらって登録した。しかし日々忙しくもあり、あまり関心もなく、時たま知人から友だちリクエストがあっても放置していた。既に友だちなんだからFacebookの中でまで必要ないと。ところが最近富に友だちリクエストが増え、Facebookの自分のサイトにいってみたら驚いた。以前どこかで会ったことのある人々が画面の周辺で微笑んでいるのだ。ウズベキスタンで遇ったAziz, ノルウェイで会ったマーティン、アメリカの友人、教え子等、知っている顔が次々浮かんでは瞬く間にまた別の知人の顔に変わっていく。「あ、この人がなぜここに?」と驚くことの連続だった。つい先日の筆者の誕生日には教え子や親友5人から“Happy Birthday!”が来た。「よく気づいてくれたことだ」と感心することしきりだったがプロフィールをみたのか。察するに過去出会った知人が筆者の名前を検索し、プロフィールで確認して友だちリクエストをし、待っているのか。

チュニジア、エジプト、リビアの民衆蜂起はFacebookのお陰で驚異の展開を見せたが、アメリカのFacebookも一層活発化したのか。Facebookでは登録者の顔写真の下に友だちの人数と友だちの顔が見え、その認め合った友だちサークルの中でテーマを出しあい、自由に会話し合っているのだから、会話が盛り上がれば確かに大きな行動力が生まれるに違いない。めったに会えない外国の友だちを持つ人が同じ広場・土俵で同時に会話出来るのは便利だろう。と理解はするが、今のところフェイスブックのサークル内での討論に参加するほど時間がない。

気のせいかFacebookが活発化するにつれ通常のEmailの受信が減って来たように思う。Facebookを使って気心の会う仲間内で同時に会話し合っているのだからだろうか。郵便の個人レターが減って来たようにE-Mailも減っていくのだろうか。時代は音を立てて変わっている。FacebookはおろかE-mailもやってない同世代も未だ日本には多いが、どうせ時代遅れになるのならそんなことやらないのも見識かも。PCという箱に向き合うより”Get outside everyday.  Miracles are waiting everywhere!” Mary Fisher)(毎日出て行こう!どこでも奇跡が待ってるよ! (彩の渦輪)