一昨日府中市の1議員報告集会に出たら!なんと菅さんが来たのだ。「菅さん!私は菅さんが東工大の学生で市川房枝さんの選挙事務長さんとして応援演説に国立の大学通りに来られた時握手して頂いたんです!何年前でしょうか?」と私。「40年以上前です!」と菅さん。少人数の集まりだったが、「地域との繋がりが大事なんですよ!」と国会報告をして頂けた。ご多忙の菅さんは1時間後去られたが、43年後の握手は感無量だった。この議員、憲護さんとの出会いも久方ぶりだ。通りがかりに枝野さんのポスターを見てそのオフィスに立ち寄ってみたら憲護さんがいたのだ。憲護さんは現在立憲民主党の市議だが、それこそ四十数年前、筆者は憲護さんの母上、とも子さんと一緒に社会的弱者(婦人、子ども、労働者)のための活動をやっており、ともこさんは当時生まれた子どもに「憲法を守る活動に従事せよ」という願いを込めて憲護と命名したのだった。とも子さんは社会党の市議になり、筆者はとも子さんの選挙事務長として応援したが彼女は早世した。憲護さんは名前に従って生き(Live up to his name)、アメリカへ留学もして修士号取得、かなり前から献身的な議員さんだ。この集会の参加者の質問は時代のニーズに合致しており、菅さんの応答も参加者を満足させ、去られるときに彼の口から「密度の高い会だった!」とのコメントが発せられた。(彩の渦輪)