1.快適な木の下のサルサ楽団 2.3.ヘミングウェイの愛したダイキリとビールを楽しむ
アメリカへ戻ればよく泊めてくれる友人Enaがいつも言っていた:「アメリカ歴代内閣の外交はStupidだ。キューバを助ければキューバの人々は生活向上され幸せ、米国にも利益があるのに!」と。1961年の国交断絶から実に半世紀以上を経てオバマさん、今日の新聞に「カストロ氏と一緒に座って歴史的な時を刻む」と。Enaも評価していることでしょう。アメリカ人は渡航制限がありキューバへは行けなかったが日本人の筆者は2年前に訪問し、キューバ紀行をアメリカ邦人が読む週刊新聞J-Angleに送信した。が、発行寸前に待ったがかかった。過去8年以上地球千鳥足を書き続けている新聞だが「待った」は初めて。「載せたら永住権を奪われる可能性がありますよ!」と警告された。で、2年前は陽の目を見なかったキューバ紀行をここに紹介します。
椰子聳えサルサ流れる、チェの愛した国 ~キューバ共和国~
遂にキューバにやって来た。地球千鳥足の旅も既に110か国以上、だが入国前にこんなに胸がときめいた国はない。チェの愛した国はどこまでも美しい国だった。緑濃く、椰子は見上げ得ないほど高く聳え、火炎樹が燃え、黄色い藤の花房が無数に垂れ下がる大木や夾竹桃が彩り競う。海は遠浅でエメラルドよりも淡い薄緑色、岸辺にもごみ一つ無く桜貝が転がる。ヘミングウェイやヴィクトル・ユーゴも愛して住んだ国。街角で店先でおじさんおばさんの楽団がサルサを演奏、つい踊り出したくなる。モヒータやダイキリを飲んで踊ろう。日本とは外交歴86年、「私、ハポネサ(日本人)」と言えばみなさん微笑む。だが革命後55年目、美しいビルの内部や窓が破壊されたまま一部に人が住んでいるのは痛々しい。国にお金がないのか。産業は砂糖や葉巻、観光にも力を入れ出した。だが民衆の暮らしは?
トイレの台座なく、紙も少ない、でも、ごみも無いのだ! 紙不足でメモ用紙は印刷物の裏面使用、マーケットに行ってみても物資が少ない。ホテルや食堂でトイレの便器に台座が無くてボウルだけ、というのが多々あり不便だったが、一旦壊れたら修理が難しいようだ。だが日本だって私の子どもの頃はもっとひどかった。それより教育費無料、医療費無料等、良い面を見なくちゃ!平均寿命は高く日本と同じ。バラデロの海は世界一美しい。国中が安全で清潔で人々が人懐こい。民宿(カサ)では多くのホテルよりご馳走が出たがこの国では宿泊費と待遇が比例しないのでカサがお勧めだ。「幸せですか?」夫は人々に質問した。「お仕事は何ですか?お給料は?幸せですか?(続く) (彩の渦輪)