私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Alessandro Scarlatti: Cantate e Duetti
Taktus TC 661901
演奏:Cristina Miatello (soprano), Claudio Cavina (alto), Giampaolo Fagotto (tenore), Ludovica Scoppola (flauto), Paolo Pandolfo (viola da gamba), Roberto Sensi (violone), Rinaldo Alessandrini (clavicembalo)

アレッサンドロ・スカルラッティ(Pietro Alessandro Gaspare Scarlatti, 1660 - 1725)は、シシリア王国のパレルモ生まれで、ローマで初期バロックのローマ楽派の巨匠、ジアコモ・カリッシミ(Giacomo Carissimi, 1605 - 1674)の教えを受けたと一般的には言われているが、その一方で、初期の作品にはアレッサンドロ・ストラデッラ(Alessandro Stradella, 1639 - 1682)やジオヴァンニ・レグレンツィ(Giovanni Legrenzi, 1626 - 1690)の影響が現れていると言う意見もある。ローマで作曲したスカルラッティのオペラ”Gli Equivoci nell sembiante” (1679)が、当時ローマに住んでいたスウェーデン女王クリスティーナの目にとまり、宮廷楽長に任命された。1684年には、ナポリ総督の宮廷楽長に任命された。これはおそらくオペラ歌手であったスカルラッティの姉妹の勧めによるものと思われる。1702年にはナポリを離れ、その間フィレンツェ近郊のフェルディナンド・デ・メディチの個人的オペラ劇場のためにオペラを作曲したり、オットボーニ枢機卿に宮廷楽長として雇われたり、1703年にはローマのサンタ・マリア・マッジョーレ教会の同様な地位に就いたりした。その後1707年にはヴェネツィアとウルビーノを訪れ、1708年に再びナポリに行き、1717年まで留まった。しかしこの頃までに、ナポリの音楽への熱意が衰え、ローマに住んで多くの傑作オペラやミサを含む宗教曲を作曲した。そして1725年にナポリで死亡した。死の少し前にヨハン・ヨアヒム・クヴァンツに会い、ヨハン・アドルフ・ハッセに作曲の授業をした。アレッサンドロ・スカルラッティは、ドメニコ・スカルラッティ(Giuseppe Domenico Scarlatti, 1685 - 1757)とフィリッポ・ピエトロ・スカルラッティ(Pietro Filippo Scarlatti, 1679 – 1750)の父親である。
 アレッサンドロ・スカルラッティの音楽は、特定の流派の影響は見られず、また師弟関係や特定の弟子も知られて居らず、かなり独立した存在であったようだ。そして、クラウディオ・モンテヴェルディをはじめとするイタリア・バロック音楽の流れを総合して、後期バロックの様式を確立した存在と考えられている。スカルラッティの作品は、オペラに代表され、全生涯に渉って作曲された。急-緩-急のシンフォーニアを後期バロック以降のオペラの序曲に導入したのは、スカルラッティと考えられている。また、ダ・カーポ・アリアをオペラの主形式にしたのも彼だと思われている。オペラは、このダ・カーポ・アリアとセッコ・レシタティーヴォによって構成されるようになった。アリアは、当初通奏低音の伴奏によって歌われていたが、やがて弦楽器による前奏と後奏が加えられるようになり、さらにはアリア全体に器楽の伴奏が加えられ、その伴奏は次第に対位法的技法を用いるようになった。スカルラッティのオペラは、自身の作成した目録によると、117曲に及んでいる。
 オラトーリオは、教皇によってオペラなどの舞台上演が禁じられていた時期にそれを回避するための作曲されたと思われるが、キリスト教的寓話や聖人伝説を主題とし、形式的にはオペラに近いが、より私的な聴衆を対象としたものである。ミサなどの教会音楽は、スカルラッティの作品の中ではそれほど重要ではない。ただ、ミサ曲「サンタ・チェチリア(Santa Cecilia)」(1721年)は、バッハの「ロ短調ミサ曲」やベートーフェンの「ミサ・ソレニムス」に結びつく大規模なミサ曲の最初の試みである。器楽曲としては、「4声のソナタ」が、後の弦楽四重奏曲の原型と考えられている。また、コレッリの形式による「12の合奏協奏曲」(1715年)もある。
 アレッサンドロ・スカルラッティの作品の中で重要な位置を占めているのが、800曲を越える室内カンタータである。その大半は手稿の形で存在し、体系的な研究が待たれる。 1人ないし2人の独唱と多くは通奏低音、時にはそれに独奏楽器が伴う。オペラが広い層を対象としているのに対し、この室内世俗カンタータは知的な音楽愛好家など個人的な聴衆を対象としている。詩は神話や牧歌を題材として、貴族階級の音楽愛好者を作者としている。構成は、3曲から4曲のアリアとそれに先行するレシタティーヴォからなっている。
 今回紹介するCDは、膨大なカンタータの中から、3曲の独唱カンタータと2曲のデュエットを収録したタクトゥス盤である。これらの内、ソプラノとリコーダー、通奏低音のためのカンタータ「私のクロリ、美しきクロリ(Clori mia, Clori bella)」以外はいずれも通奏低音のみの伴奏である。冒頭のテノールと通奏低音のためのカンタータ”Amore, brutto figlio de pottana”は、8つの部分からなる単一楽章の曲で、オペラのアリアのような表情豊かな歌唱で歌われる。いずれの曲も「愛」を主題としており、宮廷の親密な空間で演奏されたものであろう。
 リナルド・アレッサンドリーニは1960年ローマ生まれのチェンバロ、オルガン奏者、指揮者で、自ら組織したコンチェルト・イタリアーノとともに、イタリア・バロックのオペラなどの演奏を中心に活動している。ヴィオラ・ダ・ガムバ奏者のパオロ・パンドルフォ、コントラバス奏者のロベルト・センシ等の奏者もそれぞれ通常は別のグループや個人として活動しているイタリアのオリジナル楽器奏者である。CDの奏者の記述には特に記されていないが、アレッサンドリーニが主体となって起用された歌手、楽器奏者であろう。
 録音は1990年12月にボローニャの聖ドメニコ修道院で行われた。演奏に使用された楽器や演奏のピッチ等の情報は一切記されていない。なおこのCDは、添付の冊子の表紙デザインを新しくして、現在も販売されている。

発売元:Tactus


Taktus TC 661901現行のデザイン

注)アレッサンドロ・スカルラッティについては、ウィキペディアドイツ語版の”Alessandro Scarlatti“を主に参考にした。

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