私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Jean-Sébastien Bach: L’œuvre pour orgue intégrale Vol. 7 - Les cinq consertos
Caliope CAL 9709
演奏:André Isoire (orgue)

バッハによるイタリアの器楽協奏曲のチェンバロのための編曲の成立事情については、すでに「バッハによるイタリアの協奏曲のチェンバロ編曲を聴く」で詳しく述べた。それとは重複するが略述すると、バッハがヴァイマール宮廷のオルガニスト、宮廷楽士であった1713年7月に、共同統治者の一人、エルンスト・アウグストI世(1688 – 1748)の異母弟であるヨハン・エルンスト王子(Prinz Johann Ernst von Sachsen Weimar, 1696 – 1715)が1711年2月から1713年7月にかけてのユトレヒト大学留学から戻ってきた。そして帰還に際して、大量の楽譜を購入し送り届けたことが、宮廷の帳簿の記録から分かる*。これらの楽譜の中に、1711年にアムステルダムのエティエンヌ・ローハーによって出版された、ヴィヴァルディの作品3「調和の幻想(L’Estro Armonico, op. 3)」が含まれていたことは確実と考えられている。バッハが、このヴィヴァルディの作品3を始め9曲の協奏曲、ヨハン・エルンスト王子の4曲ないし7曲の協奏曲など合計20曲のチェンバロおよびオルガンのための編曲を行ったのは、このヨハン・エルンスト王子の帰国と密接に結び付いていると思われる**。ヨハン・ゴットフリート・ヴァルターにも14曲のオルガンための協奏曲の編曲があることが知られており、しかも両者の間に全く重複がないことから、これらの編曲が作品研究のための自発的なものではなく、おそらくはヨハン・エルンスト王子の依頼によるものではないかと思われる。ヴァルターの協奏曲の編曲の中には、1713年より前に成立した可能性がある曲が含まれていることが指摘されているが、バッハによる協奏曲の編曲は、1713年の初夏から、王子がヴァイマールを離れる1714年7月4日までの間に行われた可能性が高い。
 オルガンのための編曲は、ヨハン・エルンスト王子の協奏曲の第1楽章のみの編曲ハ長調(BWV 595)を含めて5曲残っている。この曲ともう1曲の王子の協奏曲の編曲ト長調(BWV 592)以外の3曲は、ヴィヴァルディの作品の編曲である。その内2曲は、作品3「調和の幻想」の8(BWV 593)と11(BWV 596)が原曲である。この「調和の幻想」からの編曲は、チェンバロのための編曲3曲とは重複していない。
 もう1曲は、ヴァイオリンと弦楽合奏のための協奏曲ニ長調(RV 208)の編曲ハ長調(BWV 594)である。以前に「 華麗なヴァイオリン独奏を含むヴィヴァルディの祝祭のための協奏曲」で紹介した “Antonio Vivaldi, <<Concerti per le Solennita>>”(DIVOX ANTIQUA CDX-79605)に添付されている冊子のGiorgio Faveの解説によると、このヴィヴァルディの協奏曲は、1713年6月18日にヴィツェンツァの聖コロナ修道院で行われた祝祭の時に、ヴィヴァルディ自身のヴァイオリン独奏で演奏されたのではないかと記されている。しかし、トリノ大学の国立図書館に保存されているヴィヴァルディの自筆譜には、バッハの編曲にある第1楽章の138小節から178小節、第3楽章の第180小節から282小節に至る長大なカデンツァは含まれていない。また、アムステルダムのジャンヌ・ローハーによって1716年から1721年の間に出版されたヴィヴァルディの作品7に含まれる異稿(RV 208a)は、異なった第2楽章を有しており、両端楽章のカデンツァもなく、バッハの編曲の手本ではないことが分かっている。このヴィヴァルディの協奏曲は「ムガール大帝(Grosso Mogul)」という名で知られているが、この標題は、ドイツのシュヴェーリンにある「メクレンブルク=フォールポムメルン州立図書館(Landesbibliothek Mecklenburg-Vorpommern)」に所蔵されている写譜(Mus. 5565)にのみ記されたもので、自筆譜には”LDBV”と言う略号だけが記されている。この写譜を作製したのは、1730年からシュヴェーリン宮廷の従僕兼オルガニストであったペーター・ヨハン・フィックで、自身の多数の作品の手稿とともに宮廷の蔵書として保存されていた。この手稿の成立時期については明確な手掛かりがないが、フィックがシュヴェーリンに来る前、故郷と思われるアルトナで作製した可能性がある。このフィックの写譜にあるヴィヴァルディの作品の形態は、ヴィヴァルディの自筆譜にはないカデンツァを含んでおり、バッハの編曲と合致する。このフィックの写譜そのものがバッハの手本となったとは考えられず、おそらくは共通の手本からの別の写譜が、ヴァイマール宮廷にもたらされたのではないかと思われる。
 バッハの5曲のオルガンのための編曲の内、自筆譜が存在するのは、ヴィヴァルディの作品3の11ハ短調の編曲ニ短調(BWV 596)のみである。この自筆譜に使用されている用紙およびバッハの筆跡から、1714年かそれ以降に作製されたものと思われるが、王子の病状が悪化してフランクフルトに移る1714年7月以前である可能性が高い。このニ短調の協奏曲以外の編曲は、ヨハン・エルンスト王子のト長調の協奏曲の編曲ト長調(BWV 592)のアイゼナハの聖ゲオルク教会のオルガニストであったヨハン・ベルンハルト・バッハによる写譜や「ムガール大帝」の編曲の不完全な状態で残っているヴィルヘルム・フリーデマン・バッハによる写譜の他は、1727年頃に多数のバッハの作品の写譜を作製したヨハン・ペーター・ケルナーや1738年から1741年までバッハの教えを受けたヨハン・フリートリヒ・アグリコーラ等の写譜で残っており、これらの手稿からは成立時期は分からない。しかしおそらくは、上記のニ短調の協奏曲(BWV 565)と同時期に成立したものと考えて良いであろう。いずれにしても5曲の内4曲に自筆譜が残っていないとはいえ、それらの作品の写譜の作製者など、伝承には問題が無く、バッハの作品であることに間違いはない。
 今回紹介するCDは、アンドレ・イゾアールが、フランス南西部、ドルドーニュ県のサン・ペリゴールにある修道院のグレンツィンク・オルガンによって演奏したカリオペ盤である。イゾアールは、1935年生まれのフランスのオルガン奏者で、カリオペ・レーベルに15枚からなるバッハのオルガン作品全集を始め、ニコラ・ドゥ・グリニーの作品などフランスのオルガン曲の録音を多数行っている。このCDは、上述の15枚の全集より後、1993年に録音されたものである。
 オルガンを建造したゲルハルト・グレンツィンク社は、1942年に現在ロシアの飛び領土カリニングラードのチェルニャホフスク(旧名インスターブルク)生まれのドイツ人、ゲルハルト・グレンツィンクが1972年にスペイン、バルセロナ近郊のエル・パピオールに設立したオルガン工房で、現在18人の職人を擁し、スペイン、フランスを中心にヨーロッパ各国で新造のオルガンの建造のほか、多くの修復、改修を手がけている。このCDで使用されているオルガンについては、CDに添付されている冊子には一切触れられていないが、グレンツィンク社のウェブサイトに掲載されているレギスターのリストによれば、3段鍵盤とペダル、22のレギスターを有している。レギスターの構成を見ると、閉管(Bourdon)を主体とした典型的なフレンチ・タイプのオルガンであるが、レギスターの選択によってか、フランスのオルガン特有の響きは聞かれない。ピッチや調律に関しては何ら情報がない。
  「ノン=メジャー・レーベル頌(その2)」で触れた通り、カリオペ・レーベルは2010年に閉鎖され、その録音資産はPhaia Recordsが獲得した様だが、MP3のデータでのみオンラインで購入可能なカリオペ・レーベルの録音の中には、このCDは含まれていないので、新たに購入することは不可能なようである。
 これに代わるこれらの曲の録音としては、トンコープマンがフローニンヘンのマルティニク教会のシュニットガー・オルガンを演奏してテルデックから発売されたバッハのオルガン作品集第12巻(Teldec: Das Akte Werk 3984-29533-2)の2枚組があるが、現在は16枚組(0825646928170)か、アントアーヌ・マルシャン/チャレンジ・レコーズの同じく全集(69281-7)でしか入手出来ない。ベルナール・フォクルールがシュターデのヴィルハーディ教会のビーレフェルト・オルガンを演奏したヴィヴァルディの3曲の編曲と、ヨハン・エルンスト王子のト長調の協奏曲の編曲(BWV 592)をアムステルダムの新教会にあるホーフト・オルガンを演奏した録音があるが、これも現在は16枚組のセット(Ricercar: RIC 289)でしか購入出来ない。

発売元:Calliope

* ヨハン・エルンスト王子の留学やその帰還に伴う宮廷の支出に関しては、Hans-Joachim Schulze, “Studien zur Bach-Überlieferung im 18. Jahrhundert”, Edition Peters Leipzig, Dresden, 1984, p. 157 - 158参照。

** オルガンのためのハ長調の協奏曲の編曲は、ヨハン・エルンスト王子の協奏曲の第1楽章のみで、これはチェンバロのためのハ長調の協奏曲(BWV 984)と同じ原曲に基づいているため、20曲とした。

注)オルガンと鍵盤楽器のための編曲の原典及び成立事情については、新バッハ全集第IV部門第8巻の校訂報告書p. 13 - 16及び同じく第V部門第11巻の校訂報告書p. 17 - 41参照


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