私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Robert Schumann: Concerto pour piano et orchestre op. 54 en la mineur, Symphonie no. 2 op. 61
Harmonia mundi France HMU 901555
演奏:Andreas Staier (pianoforte), Orchestre des Champs Élysées, Philippe Herreweghe (direction)

ロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810 - 1856)は、ピアノのための作品を多数作曲しており、今日でも演奏会で弾かれる曲は多いが、ピアノ協奏曲は1曲しか残していない。この協奏曲が完成するまでに、シューマンは様々な試みを行い、1828年には変ホ長調の協奏曲を、1829年から1831年にかけてはヘ長調の協奏曲の作曲を試みたが、2曲とも完成することはなかった。そしてすでに1833年1月10日の、将来の義父となるフリートリヒ・ヴィークに宛てた手紙で、「ハ長調かイ短調のピアノ協奏曲」を作曲しようとしていることを記している。しかし、実際に後に第1楽章となる幻想曲の作曲を始めたのは、1841年5月のことで、5月13日に作曲に取り掛かり、5月20日にはオーケストレーションも完成させた。そして同年の8月13日に、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスにおける交響曲第1番「春」(作品38)の練習の際に、クララ・シューマンのピアノで初めて演奏された。その後さらに手を加え、8月20日には完成した。シューマンはこの「幻想曲」を作品48として出版しようと何度も試みたが、引き受ける出版社を見いだすことは出来なかった。そして1845年になって、シューマンはこの「幻想曲」を3楽章の協奏曲にすることにして、5月に第2楽章の「間奏曲」、6月に第3楽章「ロンド」を作曲し、6月27日に完成、7月16日にはオーケストレーションを了え、7月31日に譜面作製に出したことが、クララ・シューマンの日記に記されている。初演は1845年12月4日に、ドレースデンのザクセン・ホテルの広間で、クララ・シューマンのピアノ、フェルディナンド・ヒラーの指揮で行われ、1846年1月1日には、ライプツィヒのゲヴァントハウスで、同じくクララ・シューマンのピアノ、フェリックス・メンデルスゾーンの指揮で演奏された*。
 第1楽章アレグロ・アフェットゥオーソは、ソナタ形式で、当初の「幻想曲」をそのまま維持したもので、シューマンの作品でしばしば見られる熱烈なフロレスタンと夢想的なオイゼビウスの間の葛藤が表現されていると解釈されることがある。第2楽章の「間奏曲(Intermezzo)」は、ヘ長調108小節の歌謡形式、すなわちABA(この曲の場合はABA’)の楽章である。この楽章から切れ目無しに続く第3楽章アレグロ・ヴィヴァーチェは、標題には記されていないが、1845年11月18日付のメンデルスゾーン宛の手紙では、「ロンド」と表現しており、実際ロンド形式の特徴を有しているが、同時に古典的なソナタ形式の特徴も兼ね備えている。この協奏曲は、初演当初から高い評価を受けており、今日でも、ロマン派の代表的なピアノ協奏曲として、演奏される機会が多い。
 交響曲第2番ハ長調作品61は、1845年から1846年にかけて、3番目の交響曲として作曲された。しかし、1841年に作曲された2番目の交響曲が、後に手を加えられ、1851年になって交響曲第4番ニ短調作品120として出版されたため、この曲が交響曲第2番となった。この交響曲を書き始めた1845年は、シューマンの最初の肉体的、精神的に落ち込んだ時期に当たり、この状態から、シューマンの想像上の兄弟、フロレスタンとオイゼビウスの助けを借りて、この作品を書くことによって回復したと自身も考えていた。また、この曲には、バッハの影響が見られる。第1楽章冒頭の金管楽器によるコラール風の主題は、バッハの直接的な影響によるもので、全曲を通じて回帰する。第1楽章は序奏付きのソナタ形式で、ハ短調で始まり、主部はハ長調である。第2楽章は、ロマン派の交響曲に典型的なスケルツォで、第3楽章はハ短調アダージョで、ABACABのロンド形式である。第4楽章ハ長調は、展開部を欠いたソナタ形式に長いコーダが続く形式で、コーダの主題は第1楽章序奏と同じくコラール風で、これに序奏の主題が掛け合って、輝かしく終わる。この交響曲第2番は、第1番「春」、第3番「ライン」、それに第4番の幻想的な曲想が、ロマン主義的な作品として高く評価された中で最も演奏される機会が少ないようだ。日本における初演は、1963年であった。
 今回紹介するCDは、アンドレアス・シュタイアーのフォルテピアノ、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮のオルケストル・ドゥ・シャンゼリゼーの演奏によるフランス・ハルモニア・ムンディ盤である。
 アンドレアス・シュタイアー(Andreas Staier)は、1955年にゲッティンゲンで生まれ、ハノーファの音楽学校、後にアムステルダムでピアノとチェンバロを学び、その後1983年から1986年まではムジカ・アンティクヴァ・ケルンのチェンバロ奏者、その後楽団を離れ、チェンバロおよびピアノフォルテ奏者として、独奏、歌手や器楽奏者との共演を幅広く行っている。そのレパートリーは17世紀、18世紀から、19世紀の作品にまで及んでいるが、特にチェンバロではバッハ、フォルテピアノではモーツァルトとシューベルトに重点を置いている。
 シュタイアーが演奏しているフォルテピアノは、1847年にヴィーンのヨハン・バティスト・シュトライヒャーによって製作されたオリジナルである。この楽器は、オランダ東部エンスケデイにあるピアノの修理、調律およびフォルテピアノの修復を行っている、Edwin Beunk & Johan Wennink社のコレクションの収蔵楽器で、そのウェブサイトによると、AAA - a’’’’の7オクターヴの楽器である**。ヨハン・バティスト・シュトライヒャーは、アウクスブルクのオルガン、ピアノ製作者ヨハン・アンドレアス・シュタインの娘、ナネッテが1793年にピアニスト、作曲家のヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーと結婚し、翌年ヴィーンに移り、弟のマテウス・アンドレアス・シュタインとともに設立したピアノ工房を継いだ、ヨハン・アンドレアスとナネッテ・シュトライヒャーの息子である。1823年に工房に加わり、両親の死後1833年に所有者となり、多くの特許を取得、ピアノ製作者として高い評価を受けた。ナネッテ・シュトライヒャーは、父親のいわゆるドイツ機構を発展させて、ヴィーン機構を開発したが、ヨハン・バティストはそれを継承し、また両親の音楽の伝統も引き継ぎ、その家には、シューマン夫妻やブラームスがしばしば訪れていた***。このCDでヨハン・バティスト・シュトライヒャーのフォルテピアノを使用したのは、この様なシューマンとの関係があるためであろう。
 フィリップ・ヘレヴェッヘは、1947年のオランダ、ヘントで生まれた指揮者で、ヘント大学で医学と音楽を学んだが、1970年に合唱団コレーギウム・ヴォカーレを組織し、医学の道を放棄して音楽に専念するようになる。間もなくニコラウス・ハルノンクールとグスタフ・レオンハルトにその才能を見いだされ、進行中のテルデックのバッハ教会カンタータ全集にハノーファ少年合唱団の低音部として合唱団とともに参加した。1977年にはパリでラ・シャペレ・ロヤールを結成、最初は17世紀フランスの作曲家の作品を主として演奏していたが、1985年からはコレーギウム・ヴォカーレとともにバッハのカンタータ等の作品の演奏に重点を置くようになった。1991年にはパリでオルケストル・ドゥ・シャンゼリゼーを結成、18世紀から20世紀初め(ハイドンからマーラー)の演奏にレパートリーを拡げた。ヘッレヴェッヘは、ハルノンクールやレオンハルトとともに、今日のオリジナル楽器による演奏を発展に大きく貢献したと評価されている。
 オルケストル・ドゥ・シャンゼリゼーは、上述のようにヘレヴェッヘによって組織されたオリジナル楽器編成のオーケストラで、ヘレヴェッヘとともに現在活発な活動を行っている。なお、ヘレヴェッヘとオルケストル・ドゥ・シャンゼリゼーは、従来フランス・ハルモニア・ムンディに主として録音を行ってきたが、現在フランスのナイーヴさらに2011年からアウトヒアグループにファイ・レーベルを設立し、オルケストル・ドゥ・シャンゼリゼーとコレーギウム・ヴォカーレによる録音を行うようになっている。
 今回紹介するCDにおける編成は、第1、第2ヴァイオリン各10(交響曲は9)、ヴィオラ7、チェロ6(交響曲は5)、コントラバス5(交響曲は4)、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2,トロンボーン3(交響曲のみ)、ティンパニ1のピアノ協奏曲は51人(交響曲は50人)である。
録音は、ピアノ協奏曲は1996年1月にパリのラジオ・フランスで、交響曲第2番は1995年1月にナント国際会議場センターで行われた。なおこのCDは、現在フランス・ハルモニア・ムンディのカタログには掲載されていない。ただし、ピアノ協奏曲は、チェロ協奏曲との組み合わせで、musique d’abordシリーズの廉価版、HMA 1951731で販売されている。

 発売元:Harmonia mundi France


HMA 1951731

* シューマンのピアノ協奏曲の成立については、Robert Schumann: Konzert für Klavier und Orchester a-Moll, op. 54, Goldmann Schott Taschen-Partitiur mit Erläuterung, Schott’s Söhne, Mainz, 1979, “Zur Werkentstehung”, p. 163 - 169, およびウィキペディアドイツ語版 “Klavierkonzert (Schumann)”を参考にした。

** Edwin Beunk & Johan Wennink社とそのコレクションを参照。

*** ナネッテ・シュトライヒャーおよびヨハン・バティスト・シュトライヒャーについては、ウィキペディアドイツ語版の各項目および、ヴィーン、ラントシュトラーセの管区博物館”III., Bezirksmuseum Landstraße”の”Streicher, eine Klavierfabrikanten-Dynastie“を参考にした。

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