私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 



J. S. Bach: Harpsichord Transcriptions of Concerti by Various Composers, BWV 972/987
DENON CO-76497-98
演奏:Huguette Dreyfus (Harpsichord)

アウクスブルクの福音派神学校の資金で、フィリップ・ダーフィト・クロイター(Philipp David Kräuter, 1690 - 1741)がヴァイマールのバッハのもとを訪れ、1712年5月から翌1713年9月まで、作曲と鍵盤楽器その他の楽器の教えを受けた。クロイターは学費の請求や学習の報告などで繰り返しアウクスブルクに手紙を送っており、それによってバッハのもとでの学習の模様や宮廷の状況に関する貴重な情報を提供している。このクロイターが1713年4月10日付でアウクスブルクの福音神学校に宛てて留学期間延長を願い出た手紙によると、ヨハン・エルンスト王子が復活祭後にオランダから戻り、夏の間ヴァイマールに留まること、それによって多くのイタリアやフランスの音楽を聞く事が出来ることを報告している*。ヨハン・エルンスト王子は、1711年2月から1713年7月までユトレヒト大学に留学していた。そして帰還に際して、大量の楽譜を購入し送り届けたことが、宮廷の帳簿の記録から分かる。さらにその年の6月から翌年6月にかけて、楽譜を収納する書架の製作を始め、筆写や製本の費用に至るまで、多くの支出が記録されている**。これらの楽譜の中に、1711年にアムステルダムのエティエンヌ・ローハーによって出版された、ヴィヴァルディの作品3「調和の幻想(L’Estro Armonico, op. 3)」が含まれていたことは確実と考えられている。バッハが、このヴィヴァルディの作品3を始め9曲の協奏曲、ヨハン・エルンスト王子の4曲ないし7曲の協奏曲ほか合計20曲のチェンバロおよびオルガンのための編曲を行ったのは、このヨハン・エルンスト王子の帰国と密接に結び付いていると思われる。ヨハン・ゴットフリート・ヴァルターにも14曲のオルガンための協奏曲の編曲があることが知られており、しかも両者の間に全く重複がないことから、これらの編曲が作品研究のための自発的なものではなく、おそらくはヨハン・エルンスト王子の依頼によるものではないかと思われる。ヴァルターの協奏曲の編曲の中には、1713年より前に成立した可能性が指摘されているが、バッハによる協奏曲の編曲は、1713年の初夏から、王子がヴァイマールを離れる1714年7月4日までの間に行われた可能性が高い。これらの編曲の成立事情は、このようであったが、バッハがこの編曲によって、ヴィヴァルディを初めとするイタリアの協奏曲を研究することが出来たことは、この後の作品に大きな影響を与えることとなったように思われる。オルガンのためのトッカータハ長調(BWV 564)や時期的には後になるが、チェンバロにためのイタリア協奏曲ホ長調(BWV 971)に顕著に表れている。
 これらの編曲の内、オルガンのためのヴィヴァルディの作品3「調和の幻想」の第11番の編曲のみ自筆譜が存在し、残りのオルガンのための編曲と全てのチェンバロのための編曲は、バッハ周辺の人達による筆者譜で伝えられている。オルガンのための編曲5曲の内3曲はヴィヴァルディの協奏曲を原曲としており(BWV 593、594、596)、残りはヨハン・エルンスト王子の協奏曲が原曲である(BWV 592、595)。一方チェンバロのための編曲は、ヴィヴァルディが6曲、アレッサンドロ・マルチェッロ、ベネデット・マルチェッロ、トレッリ、テレマンが各1曲、そしてヨハン・エルンスト王子の作品であることが確認されているものが4曲、その内1曲は原曲がオルガンのための編曲と重複している。残る3曲は、原曲が不詳であるが、ヨハン・エルンスト王子の作品である可能性もある。
 このように見てくると、ヴィヴァルディの作品の編曲が目立って多いことが分かる。オルガン、チェンバロ編曲をあわせると8曲、その内5曲は作品3「調和の幻想」を原曲としている。この「調和の幻想」からの編曲はこのほかに、後にライプツィヒで1730年頃に第10番を4台のチェンバロと弦楽合奏のための協奏曲イ短調(BWV 1065)に編曲したものがあり、バッハがこの作品集に特に強い関心を持っていたことが分かる。バッハのこれらの編曲は、 原作を凌駕しているとか、ヴィヴァルディが注目されるようになったのは、バッハのお陰であると言った意見もあるが、これは一方的な見解である。協奏曲のオルガンやチェンバロのための編曲は、18世紀初めにはすでに長い伝統を持っていたようである。特にネーデルランド地方には、そのような傾向が顕著であったようで、ヨハン・マッテゾンが、アムステルダムの新教会のオルガニスト、ヤン・ヤーコブ・デ・フラーフ(Jan Jacob de Graaf)の例を挙げて報告している*****。ユトレヒトに留学していたヨハン・エルンスト王子が、このような編曲を知って、ヴァイマールでそれに習って、バッハやヴァルターに依頼したことが考えられる。現在の我々は、容易に原作とバッハやヴァルターによる編曲を比較することが出来るから、偏見にとらわれずに聴いてみるのも良いだろう。
 今回紹介するCDは、バッハがチェンバロのために編曲した協奏曲の全曲を収めたものである。新バッハ全集の第V部門第11巻に掲載されている、ヨハン・エルンスト王子の協奏曲の第1楽章の編曲(BWV 592a)は、オルガンのための編曲(BWV 592)と重複しており、このCDには収められていない。演奏しているのは、1928年フランスのアルザス生まれのチェンバロ奏者ユゲット・ドレイフュス(Huguette Dreyfus)である。彼女は当初ラザール・レヴィ(Lazare Lévy)にピアノを学んだが、その後パリ・コンセルヴァトアールでノルベール・ドゥフォルク(Norbert Dufourcq)のバッハに関する特別クラスで学び、さらにイタリア、シエナでチェンバロを学び、フランスに於けるルネサンス、バロック音楽の紹介、チェンバロの復興に重要な役割を果たした。このCDに於ける演奏には、彼女が愛用している1754年アンリ・エムシュ(Henri Hemsch)作のチェンバロが使用されている。下段には8フィートと4フィートの二対の弦、上段は8フィート弦一対を備えている。この楽器は、製作当初の状態を完全に保って発見され、そのままの状態で修復された。ピッチはa’ = 415 Hz、調律は”Bach/Kellner”と記されているが、これは1/5 ピュタゴラス・コンマと、純正五度を組み合わせた調律法である****。
 このCDは、デノンPCMで1989年9月から10月にかけてパリで録音されたもので、オリジナル楽器の響きを非常によく捉えている。筆者の持っているものは、逆輸入版であるが、残念ながら、現在日本のコロンビア・ミュージック・エンターテインメントでは、廃盤になっていて、入手は困難なようだ。

発売元:Columbia Music Entertainment

* クロイターによるアウクスブルクの福音派神学校宛ての書簡は、新バッハ全集のバッハ文書集(Bach-Dokumente)第II巻が刊行された1969年以降に公になったもので、その公表時期によって、バッハ文書集第III巻及び第V巻に分かれて収められている。このヨハン・エルンスト王子に言及した書簡は、第V巻にDok II-57aとして掲載されている。
** ヨハン・エルンスト王子の留学やその帰還に伴う宮廷の支出に関しては、Hans-Joachim Schulze, “Studien zur Bach-Überlieferung im 18. Jahrhundert”, Edition Peters Leipzig, Dresden, 19884, p. 157 - 158参照。
*** オルガンと鍵盤楽器のための編曲の原典及び成立事情については、新バッハ全集第IV部門第8巻の校訂報告書p. 13 - 16及び同じく第V部門第11巻の校訂報告書p. 17 - 41参照
**** Kellnerの「バッハの調律」については、Herbert Anton Kellner, "Wie stimme ich selbst mein Cembalo ?", Verlag Das Musikinstrument Frankfurt am Main, 2. &uulm;berarbeitete Auflage, 1979参照
***** Johann Mattheson, “Beschütztes Orchestre”, Hamburg 1717, p. 129, Hans-Joachim Schulze, “Studien zur Bach-Überlieferung im 18. Jahrhundert”, Edition Peters Leipzig, Dresden, 19884, p. 157 より引用。

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コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
Unknown (ぶっち)
2009-01-07 19:37:33

今年もよろしくお願いいたします。
私はこのCDを聞いた時、楽器の音の素晴らしさに驚くと共に、バッハの協奏曲様式への関心の強さに関心しました。Dreyfusの演奏には安定感を感じました。そして、あらためてイタリア協奏曲の素晴らしさを実感したのでした。
 
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