私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Martin Souter: Handel and Scarlatti. Kirkman harpsichord in the Ashmolean Musem, Oxford
ISIS Records CD001
演奏:マーティン・ソーター

16世紀から17世紀にかけてのイギリスでは、チェンバロのための多くの作品が生み出された。その代表的な例は、「フィッツウィリアム・ヴァージナルブック」として知られている手稿に収められた300曲近い作品に見ることができる。ジョン・ブル、ウィリアム・バード、ギリス・ファーナビーなど多くの音楽家が演奏、作曲活動を展開していたのであるから、当初はイタリアから、次いでフランドルから多くのチェンバロが輸入されたと同時にイギリスにも16世紀にすでに20人近いチェンバロ製作者がいたとしても驚くに当たらない。しかし、この時期の作であることが分かっている楽器は、おそらく1台だけと思われる。この様な状態は18世紀の初めまで続き、盛んに製作が行われていたことは分かっているが、楽器自体はあまり残っていない。
18世紀初頭のロンドンでよく知られたチェンバロ製作者の一人に、ハーマン・テイブルという人物がいた。彼については、詳しいことはあまり分かっていないが、おそらくフランドルの出身で、一説にリュッカースの工房で修行した後、ロンドンにやってきたと言われている。テイブルの重要性は、彼の工房から、18世紀イギリスのチェンバロ製作の中心人物、ブルカト・シュディ(1702 - 1773)とジェイコブ・カークマン(1710 - 1792)が出たことである。
 シュディは、スイスの出身で、1718年にロンドンにやってきて、まもなくテイブルの工房に雇われた。彼がいつ独立して自身の工房を持ったのかははっきりしていないが、1729年と記された彼の名前のあるチェンバロが存在する。彼の工房は、1761年に雇い入れたジョン・ブロードウッド(1732 - 1812)によって引き継がれ、ピアノフォルテの製作者として知られ、ベートーベンもブロードウッド製のピアノフォルテを持っていた。現在もブロードウッド・アンド・サンズという社名で存続している。
 一方ジェイコブ・カークマンはアルザス地方の生まれで、1720年代にロンドンにやってきて、テイブルの工房に入り、1738年にテイブルの死後その未亡人と結婚し、工房を引き継いだ。1772年までに同じくアルザス生まれの甥アブラハムを共同経営者として迎え、以降楽器に連名を記すようになった。アブラハムの息子ジョセフが後を引き継ぎ、19世紀を通じてピアノフォルテの製作社として存続し、1896年にコラードと合併、その後チャペル社に買収されることとなった。
 シュディとカークマンの楽器は、同じ工房の出のため非常によく似ているが、カークマンの楽器の方が多く残っている。このCDで録音に起用されたのは、1772年製のジェイコブ・カークマンのチェンバロで、現在オクスフォードのアシュモレアン博物館所蔵のものである。2段鍵盤、2対の8フィート弦と1対の4フィート弦、4組のジャックを備えている。チェンバロが、ピアノフォルテの普及によって、姿を消してゆく寸前の、最後の花を咲かせていた時期の楽器である。
 演奏しているマーティン・ソーターはイギリスのオルガン、鍵盤楽器奏者で、1986年にシャルトル・オルガンコンクールでイギリス人として初めて受賞、1986年と1988年には、ダブリン国際コンクールでも受賞している。生年は不明だが若手の音楽家のようで、このCDが最初の録音だそうだ。
 収められている曲は、最初と最後にヘンデルの組曲、それらの間にドメニコ・スカルラッティのソナタ9曲である。ヘンデルの組曲はいずれも1720年に出版された組曲集の第1巻に収められている作品で、最初のホ長調の組曲(HWV 430)は、その第5番、第4楽章の「調子のよい鍛冶屋」の旋律による変奏曲で有名である。二つめの組曲(HWV 432)は第7番ト短調である。スカルラッティのソナタは、カークパトリック番号で若い番号の曲である。いずれの曲も、楽器が誕生するより早いもので50年以上前に作曲されたものである。
 録音は、アシュモレアン博物館で行われた。豊かな残響を含みながら、鮮明な音がとらえられている。解説書には何も記されていないが、a = 415 Hz、不均等調律のようである。

発売元:ISIS Records
このISIS Recordsについては、情報が全くない。どうも複数のレーベルが存在するようで、イギリスの会社と思われるこのレーベルについては、何枚かのCDが発売されていること以外詳しいことは不明である。

注)カークマンの楽器を始め、イギリスのチェンバロについては、Raymond Russell, "The Harpsichord and Clavichord", Faber and Faber, London,1959を参考にした。

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