私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




J. S. Bach: Secular Cantatas • Weltliche Kantaten
Philips 446 716-2
演奏:Orchestra and Choir of the Age of Enlightenment, Gustav Leonhardt

バッハが1717年から1723年まで宮廷楽長を務めていたアンハルト=ケーテン宮廷は、カルヴァン派=改革派に属していた。そのため、ルター派に属するバッハとその家族は、当主レオポルト候の母親、ギーゼラ・アグネスの援助によって設立された、町のルター派のアグネス教会に通っていた。改革派の教会の礼拝では単純な賛美歌以外の音楽は演奏されなかった。そういう事情で、ケーテン時代のバッハは、カンタータなどの教会音楽を提供する義務が無く、従来はもっぱら器楽曲の作曲と演奏に従事していたと考えられていた。「インヴェンションとシンフォーニア(BWV 772 - 801)」、「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ第1集(BWV 846 - 869)」、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(BWV 1001 - 1006)」などがその代表的な作品である。しかし、声楽作品を演奏する機会が全くなかったわけではない。毎年12月10日のレオポルト候の誕生日と新年には、それぞれカンタータを作曲して演奏していたことが、フリートリヒ・スメントの研究で体系的に明らかにされた*。これらのカンタータは、後にライプツィヒで、教会カンタータに改作された形でしか残っていないものがほとんどであるが、ここで紹介する「レオポルト殿下(Durchlaucht’ster Leopold)」(BWV 173a)は、オリジナルの自筆総譜が残っている。このカンタータは、1722年12月10日に演奏されたと思われる。そして、このカンタータの8つの楽章のうち、第1楽章から第6楽章までは、ライプツィヒで、聖霊降臨祭第2日目のカンタータ「高められた肉と血(Erhoehtes Fleisch und Blut)」(BWV 173)に転用され、おそらく1724年5月29日に演奏されたと思われる。このカンタータも自筆総譜が存在するが、「レオポルト殿下」の総譜の第1楽章のレシタティーヴォには、教会カンタータに転用する際の修正と、カンタータの歌詞が書き込まれている。「レオポルト殿下」は、ソプラノとバスの独唱、2本のフラウト・トラヴェルソと弦楽合奏、ファゴットを含む通奏低音という、ケーテン宮廷の鏡の間で演奏するにふさわしい編成の曲である。
 このCDに収められているもう一つの作品は、音楽劇「フェープスとパンの争い(Drama per Musica: Der Streit zwischen Phoebus und Pan)」(BWV 201)である。この曲は、伝統的音楽を代表するギリシャ神話の太陽の神フェープスと新奇な新しい音楽を代表する牧人と家畜の神パンが歌の競演を行うという内容で、新しい音楽の流れを風刺するものである。この作品はおそらく1729年に作曲され、この年からバッハが引き受けることとなった、ライプツィヒ大学の学生が組織するコレーギウム・ムジクムとともにライプツィヒにあったツィンマーマンのコーヒーハウスで演奏されたものと思われる。トランペット3,ティンパニ、フラウト・トラヴェルソ2,オーボエ2,弦楽合奏と通奏低音、それにテノールとバス各2声部を含む6声の声楽部からなっている。演奏の目的は、ザクセン選帝候やその家族の誕生日などを祝って演奏されるカンタータとは異なっていたが、華やかな、祝祭的作品である。
 演奏をしているのは、グスタフ・レオンハルト指揮、「啓蒙運動時代の」オーケストラ(Orchestra of the Age of Enlightenment)と合唱団に、独唱歌手陣である。「レオポルト殿下」に関しては、ケーテン宮廷における演奏に際して、女性歌手が加わっていたことは間違いないので、問題はない。しかし「フェープスとパンの争い」に関しては、疑問点がいくつかある。まず、第1楽章と第15楽章は合唱団によって歌われているが、本来そのような編成であったのかどうか、である。この2つの楽章でも、総譜には役名が書かれていて、むしろ6人の独唱者が歌うものであるように見える。しかし、オリジナルのパート譜も残っていて、それにはソプラノとアルトだけ第1楽章と第15楽章だけが記入され、他の楽章は休みであることが書かれたパート譜も存在する。これは、テノールとバスが2人ずついるので、高音部と低音部のバランスをとるための処置であると思われる。したがって、実際にバッハの指揮で演奏したときの状態を再現するなら、このオリジナルのパート譜の通りに、8人の独唱者で歌うべきであろう。ちなみに、筆者が聴いたものの中では、カペラ・コロニエンシス(Capriccio 10615)とトン・コープマン指揮のバッハカンタータ全集第5巻(Erato 0630-17578-2)の演奏では、独唱者たちが歌っている。
 もう一点は、バッハの世俗カンタータの内、女性の歌手が参加していたのはどれか、という問題である。作品の目的やその内容から、宮廷での演奏や、個人的な機会での演奏を想定した作品には、女性歌手の参加があったと考えられるが、ライプツィヒで、ザクセン選帝候兼ポーランド国王自身およびその家族の誕生日や命名祝日などを祝って、一種の公式行事のような形で演奏されたカンタータ、あるいはそれに似た機会、例えば大学の行事などで演奏されたカンタータの場合、女性の歌手、混声合唱団が参加したとは考えにくい。当時ライプツィヒには、オペラ劇場がなかったので、職業的女性歌手は存在しなかったはずである。大学の学生でも、女性は居としても例外的であったと思われるので、混声合唱団を編成することは出来なかったはずである。そうなれば、ソプラノやアルトの声部は、トーマス学校の生徒からなる聖歌隊か、大学生からなる合唱団が裏声で歌ったことになる。しかし、オリジナル楽器編成をはじめ、当時の演奏をそのまま再現することが広く行われるようになった今日でも、バッハの世俗カンタータの声楽部の演奏に関しては、この点が十分に論議され居ないようで残念である。
 筆者の考えでは、このCDの演奏は、「レオポルト殿下」に関しては問題ないが、「フェープスとパンの争い」に関しては、大いに疑問がある。
 このCDは、フィリップスのバッハの世俗カンタータのシリーズの1枚で、1995年に録音されたものである。筆者はこのほか2枚のCDを持っているが、 現在フィリップス、デッカ、ドイツ・グラモフォンなどの持つレーベルが、ユニヴァーサル・グループに併合され、このCDをはじめ、レオンハルトの指揮によるバッハのカンタータのレコードは、すべて廃盤になっているようである。したがって、中古品以外入手の手段はなさそうである。メジャー・レーベルのクラシック部門は凋落著しい。クラシック音楽愛好者にとっては、残念なことである。マイナー・レーベルがんばれ!

発売元:Philips

* Friedrich Smend, “Bach in Köten”, Berlin (1951)

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