私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Pachelbel: The Complete Organ Works Volume 1
Dorian Records DOR-93173
演奏:Antoine Bouchard (Organ)

今まで数回にわたり、北ドイツのオルガニストを紹介してきたが、今回は中部ドイツで活躍した代表的なオルガニスト、ヨハン・パッヒェルベル(Johann Pachelbel, 1653 – 1706)を紹介する。パッヒェルベルは、当時の音楽家としては珍しく、ニュルンベルクでワイン商を営む家に生まれた。音楽教育は、音楽教師で作曲家のハインリヒ・シュヴェムマーから受けたと思われる。基礎教育を受けた後、1669年にニュルンベルク近郊のアルトドルフの大学に入学したが、家の経済的困窮のために同年に退学、1670年にレーゲンスブルクのギムナージウムで勉学を継続した。それと同時に学外でカスパー・プレンツに音楽を学んだ。いつまでレーゲンスブルクでの勉学を続けていたかは不明だが、1673年にはヴィーンで、聖ステファン聖堂の副オルガニストに就任し、5年間にわたって、このハプスブルク帝国の中心都市でイタリアやドイツ系のカトリックの音楽家達の音楽を吸収した。パッヒェルベルは、1677年にチューリンゲン地方のアイゼナハに移り、ザクセン=アイゼナハ公、ヨハン・ゲオルクI世の宮廷オルガニストに採用された。パッヒェルベルは、ここアイゼナハでバッハ一族と出会い、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの父、町庸楽士のヨハン・アムブロジウス・バッハと親交を結ぶこととなった。この縁で、アムブロジウス・バッハの長男、ヨハン・クリストフ・バッハは、1685年頃から約3年間、1678年にエールフルトの伝道師教会のオルガニストに就任したパッヒェルベルのもとで教えを受けた。パッヒェルベルは、1690年までの12年間エールフルトに住み、その間もバッハ一族との交流は続き、1684年には町庸楽士の長であったヨハン・クリスティアン・バッハの死後、その家を購入するといった関係にまで及んでいる。
 その後1690年9月に、シュトゥットガルトのヴュルテンベルク公のオルガニストに任命されたが、2年後のフランスとアウクスブルク同盟(神聖ローマ帝国、ドイツの選帝侯国、スペイン領ネーデルランド等)軍の間で戦われた大同盟戦争によるフランス軍の攻撃を逃れて、1692年11月にゴータの町のオルガニストになった。そして1695年4月20日に、ニュルンベルクの聖ゼーバルドゥス教会のオルガニスト、ゲオルク・カスパー・ヴェッカーが死亡し、町はその後任としてパッヒェルベルに白羽の矢を立て、通常行われる試験や招請の手続を経ずに任命した。パッヒェルベルは、その際ゴータの地位の後任に、弟子であったヨハン・クリストフ・バッハを推薦したが、彼はその招きを断った。ヨハン・クリストフ・バッハは、1694年10月に結婚し、10月23日にオールドルフで結婚式を催したが、その際に他の音楽家と共にパッヒェルベルも招き、おそらくパッヒェルベルはその招きに応じて出席したものと思われる。
 パッヒェルベルは、その後1706年に死亡するまで、生まれ故郷でもあったニュルンベルクの聖ゼーバルドゥス教会のオルガニストの地位にあった。パッヒェルベルは、その間に室内楽曲集「音楽の楽しみ(Musicalische Ergötzung)」(1691年?)や鍵盤楽器のための6つのアリアによる変奏曲集「アポロの6弦琴(Hexachordum Apollinis)」(1699年)を出版した。
 パッヒェルベルの後世への影響は、主に彼の弟子達に限られていたが、その中にヨハン・クリストフ・バッハが居り、それによって間接的にヨハン・ゼバスティアン・バッハに及んでいる。これは、いわゆる「ノイマイスター手稿のコラール」に最も濃く現れている。また、バッハの遠い親戚に当たるヨハン・ゴットフリート・ヴァルターにも、パッヒェルベルの影響が見られるという。ヴァルターは1684年にエールフルトで生まれており、彼が6歳になるまでパッヒェルベルも同じ町におり、上述のようにバッハ一族とは親交があったので、何らかの音楽的な接触があったかもしれない。
 パッヒェルベルの作品は、声楽曲や室内楽など多岐にわたっているが、その中心はオルガンのための作品で、200曲以上が知られている。しかし、その内自筆譜が存在するのはほんのわずかで、多くは弟子達による筆写譜にもとづいている。重要な手稿のいくつかは第二次大戦によって紛失したが、その一部はマイクロフィルムが残っており、後期の作品を中心にした手稿はイギリス、オックスフォードのボードレイアン図書館にある。この他にポーランド、クラクフのヤギェロンスキ大学図書館に所蔵されているパッヒェルベルの弟子であったヨハン・ファレンティン・エッケルトが編纂したタブラトゥア手稿があり、これには唯一のパッヒェルベルの自筆譜が含まれている。パッヒェルベルの作品については、標準となる作品番号が無く、キャスリーン・J. ウェルター(1998年、CW番号)、ジャン・M. ペロー(2001、P番号)、つかもとひでお(2002、T番号)が併存しており、作品の評価も異なっている。さらに、今回紹介するCDで演奏をしているアントアーヌ・ブシャールによるオルガン曲のみの作品番号(POP番号)が存在する。
 今回紹介するCDは、パッヒェルベルのオルガン曲全集として、ドリアン・レーベルから発売された11枚である。それぞれのCDには、自由曲、コラール、マグニフィカートによるフーガなどが配分して収録されており、コラールは教会暦、その他の礼拝向けに分類して収録されている。例えば第1巻には、待降節と降誕節のコラール計8曲、シャコンヌヘ短調(POP 16)、トッカータヘ長調(POP 282)、それに第1旋法のマグニフィカートによるフーガ12曲(POP 151 - 162)が収録されている。
 演奏をしているアントアーヌ・ブシャールは、1932年カナダ生まれのオルガニストで、ケベックとフランスでオルガンを学んだ後カナダのサン=アン・カレッジで教えた後ラヴァル大学で1961年から2002年まで教授として勤めた。オルガンの演奏家、教師としての活動に加え、オルガンに対する造詣を生かし、様々なオルガンの修復や設計の助言を行っている。
 この11枚のCDで演奏されているオルガンは、カナダ、ケベック州、カムラスカにあるサン・パスカル教会の3段鍵盤とペダル、29のレギスターを有する楽器で、1964年にアントアーヌ・ブシャールのレギスター設計に基づき、カサヴァン社が建造した。鍵盤の音域はC - g”’の56鍵、ペダルはC - g”の32音である。このオルガンは、特定のオルガンの複製ではなく、ジルバーマン一族の東部フランスとザクセンのオルガンの特徴を備えている。フルート系のプリンシパルを主体とするだけでなく、閉管やリード系のパイプも備え、多彩な音色を有している。しかし、ピッチや調律に関する情報は、CDの解説にも、このオルガンのウェブサイトの情報にも無い。
 録音の時期は、具体的には記されていないが、1998年から1999にかけて行われ、1999年から2001年にかけて順次発売された。この11枚のCDは、現在でも1枚ずつ個別に購入可能である。

発売元:Dorian Recordings

第2巻以降の番号は:Vol. 2: DOR-93174、Vol. 3: DOR-93180、Vol. 4: DOR-93181、Vol. 5: DOR-93188、Vol. 6: DOR-93189、Vol. 7: DOR-93196、Vol. 8: DOR-93197、Vol. 9: 93206、Vol. 10: 93216、Vol. 11: DOR-93221

注)パッヒェルベルとその作品については、ウィキペディア英語版の”Johann Pachelbel”および”List of compositions by Johann Pachelbel”を主として参考にした。

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