私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




The Young Bach - A Virtuoso
Hänssler – Edition Bachakademie CD 92.089
演奏:Kay Johannsen (Organ)

バッハの初期のオルガンあるいは鍵盤楽器の作品についておよびCDはすでに以前にまとめて紹介したが*、今回はそれらと重複する内容のため紹介しなかった1枚を取り上げる。それは、ヘンスラー・レーベルのバッハ全集(Edition Bachakademie)の一枚で、「若きバッハ、名手」と題して、アルンシュタット時代からヴァイマール時代前半まで(1703年から1713年頃まで)に作曲されたと思われる作品を収録している。
 今回紹介するCDに収録されているコラール曲は、自筆譜が存在するにもかかわらず、新バッハ全集第IV部門第3巻「個々に伝承されたコラール」から除外された「なんと美しく輝く暁の星(Wie schön leuchtet der Morgenstern)」(BWV 739)以外の12曲は、すべてこの巻に掲載されている。この「なんと美しく輝く暁の星」は、バッハの兄ヨハン・クリストフ・バッハが作製した手稿のひとつ「メラー手稿」にも掲載されているが、新バッハ全集の該当する巻、第IV部門第3巻が刊行されたのが1963年で、その時点では、この手稿がヨハン・クリストフ・バッハによって作製されたことが判明して居らず、もう一つの手稿「アンドレアス・バッハ本」と共に、バッハと密接に関連した人物によって作製されたとは推定されていたが、原典としての信頼性は低いと思われていた。しかし、新バッハ全集の当該巻の校訂報告書には、除外された作品については一切触れられていないので、理由は分からない。この作品の自筆譜では、曲の冒頭の右端に標題や楽譜とは異なる筆跡で不明瞭に”JSB”と記載されているだけで、「メラー手稿」に於いても、”Wie schön leuchtet der Morgenstern. 2 Clav. con Ped. di JSB”と、自筆譜と同様に記載されているため、確実にバッハの作とは判断できないと考えられた可能性はある。いずれにしても、今日ではこの曲はバッハの最も若いときの自筆譜が存在する作品として認められ、新バッハ全集第IV部門第10巻の冒頭に、自筆の断片がある同一コラールにもとづく作品(BWV 764)と共に「自筆譜で伝えられているコラール変奏曲」として掲載された。
 このCDに収録されているその他のコラール曲には自筆譜は存在しない。「神は我らの堅固な城(Ein feste Burg ist unser Gott)」(BWV 720)と「私に哀れみを、ああ主なる神(Erbarm dich mein, o Herre Gott)」(BWV 721)は、ヨハン・ルートヴィヒ・クレープスの遺産に由来する手稿のひとつ(ベルリン国立図書館 Mus ms Bach P 802)に含まれており、前者はヨハン・トービアス・クレープス(Johann Tobias Krebs, 1690 – 1762)、後者はヨハン・ゴットフリート・ヴァルター(Johann Gottfried Walther, 1684 –1748)によって記入されている。さらに「称えられよ、イエス・キリスト(Gelobet seist du Jesu Christ)」(BWV 722)と「甘い歓喜に(In dulci jubilo)」(BWV 729)の古い形もヨハン・トービアス・クレープスによって記入されており、彼は1710年頃からヴァルターに教えを受け、1714年頃からバッハにも教えを受けるようになっていたから、この時期に筆写したものと考えられ、バッハのヴァイマール時代かそれ以前に作曲された作品と考えることが出来る。「神は我らの堅固な城」(BWV 720)と「称えられよ、イエス・キリスト(Gelobet seist du Jesu Christ)」(BWV 722)の新しい形は、ヴァルターの筆写譜も存在する。
 それに対し、「 キリストは死の枷に捕らわれた(Christ lag in Todes Banden)」(BWV 718)と「ただ愛する神にゆだねる者のみが(Wer nur den lieben Gott Läßt walten)」(BWV 690)は、ヨハン・ルートヴィヒ・クレープス(Johann Ludwig Krebs, 1713 – 1780)による筆写譜が存在し、年齢的にバッハのライプツィヒ時代に作製された筆写譜と考えられる。「高きところの神にのみ栄光あれ(Allein Gott in der Höh sei Ehr)」(BWV 715)と「主イエス・キリストよ、私達の方を向いて下さい(Herr Jesu Christ, dich zu uns wend)」(BWV 726)は、その多くがヨハン・ペーター・ケルナーによって作製され、彼の死後合本された手稿(ベルリン国立図書館 Mus ms Bach P 804)に、1727年かそれ以降にケルナー他1名によって記入された筆写譜が存在する。「甘い歓喜に」(BWV 729)と「称えられよ、イエス・キリスト」(BWV 722)の新しい形は、「高き天より私はやってきた(Vom Himmel hoch da komm ich her)」(BWV 738)と「神を賛美するあなた方キリスト教徒はすべて等しい(Lobt Gott, ihr Christen, allzugleich)」(BWV 732)と共に、ヨハン・ゴットリープ・プレラー(Johann Gottlieb Preller, 1727 – 1786)による筆写譜が存在し、師匠であったと思われるヨハン・ニコラウス・メムペル(Johann Nicolaus Mempel, 1713 – 1747)と共に作製したバッハの作品の手稿は、重要な原典と見なされている。「天国におられる我らの父(Vater unser im Himmelreich)」(BWV 737)は、ヨハン・ゴットフリート・ヴァルターによって作製された367頁、24人による196曲のコラール作品が記入された手稿(オランダ、デン・ハーグ県立博物館 NL DHgm 4. G. 14)および「ノイマイスター手稿」に含まれている。ヴァルターの手稿については、先に「 ヨーロッパ各国のオルガン音楽を聴く:(14)バッハとその周辺のコラール曲」でも触れたように、幅広い世代の作品を含んでいるため、この作品の作曲年代の判定には役立たない。その上「ノイマイスター手稿」にも含まれていることによって、かなり初期の作品である可能性もある。
 この様に、コラール作品については、その原典の多くが1720年代あるいはそれ以降に作製されており、作曲年代の判定は非常に難しい。「オルゲルビュッヒライン」や「クラフィーア練習曲集第3部」、いわゆる「18のコラール」のようなまとまった手稿や出版譜は、その作成時期が判明しているが、これらに含まれない個々のコラール曲は、その多くが様式的観点から、ヴァイマールあるいはそれ以前の作品と考えられているものが多い。しかし様式批判による作曲時期の判定は、その信頼性には疑問があるので、これらの作品がすべて、名手としての名声を獲得しつつあった若きバッハの作品と見なすことは困難と言わざるを得ない。
 コラールに基づかない曲の内、「模倣を伴うファンタージア(Fantasia con imitatione)」(BWV 563)と「フーガト短調」(BWV 578)は、バッハの兄ヨハン・クリスティアン・バッハが作製した手稿のひとつ「アンドレアス・バッハ本」に掲載されている。BWV 563については、1704年頃、つまりアルンシュタット時代の作という見方と、それより後、ミュールハウゼンからヴァイマール時代の前半の作という説とがある。「フーガト短調」は、 単一主題にもとづく4声のフーガで、単独のフーガとしては演奏される機会の多い作品である。この曲は、1713年頃までには作曲されたと考えられている。「前奏曲とフーガト長調」(BWV 550)は、名称不明の筆者による写譜が存在し(ベルリン国立図書館 Mus. ms. Bach P 1210)、さらに2ページ目の下部にバッハの自筆の書き込みがあり、様式的観点から、1706年から1708年の間に作曲されたのではないかと考えられている。前奏曲とフーガが分離されて居らず、前奏曲の10小節に及ぶペダルの独奏や、律動的なフーガが、北ドイツのオルガン音楽の影響下に作曲された事を示しているように思える。「前奏曲ト長調」(BWV 568)は、18世紀後半の筆者不明の写譜(ベルリン国立図書館 Mus. ms. Bach P 303)以外は19世紀になってからの写譜が複数有り、原典からは作曲年は分からない。さらにバッハの作品かどうか疑われてもいる。「フーガト長調」(BWV 577)は、バッハの作品の熱心な収集家であったフリートリヒ・ヴィルヘルム・ルスト(Friedrich Wilhelm Rust, 1739-1796:旧バッハ全集の編纂に貢献したヴィルヘルム・ルストとは全くの別人)が所有していた手稿などが存在するが、これらも18世紀後半に作製されたもので、現在疑わしい作品の中に加えられているが、新バッハ全集第IV部門第11巻でこの曲を含む自由曲の編纂を行ったウルリヒ・バルテルスは、古い4つの手稿で明確にバッハを作者と記しており、様式的に「バッハらしくない」という見解には根拠がないと述べている。「トッカータニ短調」(BWV 565)については、 「バッハの初期のオルガン及び鍵盤楽器のための作品について(その2)」において詳しく述べたように、バッハの作品ではないと強く主張する研究者が居る一方で、若きバッハが先達たちの影響から、自身の大胆で技巧的な試みへの進化の過程を示す代表作とする意見も存在し、バッハの真作とする意見が強い。
 上に述べてきたように、原典の状態から見ると、作曲時期の不明な作品が多いが、作曲時期がある程度明確な作品の様式と比較して、バッハのヴァイマール時代の作品と考えられる曲が多いのも確かである。その点から、このCDに収録されている作品が、バッハがオルガンの名手であるとの評判が広がっていた時期に作曲されたと言う解釈は、一定の保留付きで納得できると言っても良い。
 このCDでオルガンを演奏しているカイ・ヨハンセン(Kay Johannsen)は、1961年生まれのドイツのオルガン、チェンバロ奏者、指揮者で、1994年以来シュトゥットガルトの教団教会のカントール、オルガニストの任にある。その一方でオルガニストとして、世界各国の音楽祭に参加し、また通奏低音奏者として様々なオーケストラの演奏に参加している。
 ヨハンセンが演奏しているのは、ドイツ、ニーダーザクセン州のカッペルにある聖ペテロ=パウロ教会のシュニットガー・オルガンである。このオルガンは、元々は1679年から1690年にかけて、シュニットガーがハンブルクの聖ヨハネ教会に、ルネサンス後期からあるオルガンをもとにして建造したものだが、1810年にハンブルクがナポレオン軍に占領された際に教会が倉庫にされたため、1813年に解体されて疎開され、その後1810年に火災で焼失し再建されたカッペルの聖ペテロ=パウロ教会に売却され、1816年に設置された。その後1939年と1977年に修復された。現在のオルガンは、2段鍵盤とペダル、30のレギスターを有している。レギスターは殆どオリジナルのもので、ケースや鍵盤、風箱等もオリジナルである。しかし残念なことに、1816年に再建された際に、ピッチはa’ = 440 Hz、平均律に調律されてしまった。これもオリジナル通りに、コーアトーン、中全音率が維持されていれば、もっと美しい響きが聴かれたであろう。なお、このオルガンは、アルヒーフ・レーベルがヘルムート・ヴァルヒャの演奏で、バッハのオルガン曲を録音した最初の頃に、トッカータヘ長調(BWV 540)などの録音に使用された。
 このヘンスラーのバッハ全集(Edition Bachakademie)のCDは、「若きバッハ、名手」を含め、ほとんどすべてが現在も個別に購入できる。

発売元:SCM Hänssler

注)バッハの作品の原典、作曲時期などについては、新バッハ全集第IV部門第3巻のハンス・クロッツによる校訂報告書、バッハの原典についての総合的なウェブサイト”Göttinger Bach-Katalog – Die Quellen der Bach-Werke. Datenbank der Werke J. S. Bachs und ihrer handschriftlichen Quellen bis 1850”、Hermann Zietz, “Quellenkritische Untersuchungen an den Bach-Handschriften P 801, P 802 und P 803 aus dem ‘Krebs’schen Nachlass’ unter besonderer Berücksichtigung der Choralbearbeitungen des jungen J. S. Bach”, Hamburger Beiträge zur Musikwissenschaft, Band 1, Verlag der Musikalienhandlung Karl Dieter Wagner, Hamburg1969等を主に参照した。

* 「バッハの初期のオルガン及び鍵盤楽器のための作品について(その1)」、「バッハの初期のオルガン及び鍵盤楽器のための作品について(その2) 」、「バッハの初期のオルガン及び鍵盤楽器のための作品について(その3)」、「バッハの初期のオルガン曲を聴く(その1)」、「バッハの初期のオルガン曲を聴く(その2)」、「バッハの初期のオルガンのための作品を聴く(その3)」、「『メラー手稿』、『アンドレアス・バッハ本』から、バッハの鍵盤楽器のための作品を聴く」、「バッハの初期の鍵盤楽器のための作品を聴く(その2)」、「バッハの7曲のトッカータ、バッハの初期の鍵盤楽器のための作品を聴く(その3)

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