私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 



1962年、東芝音楽工業はヘルムート・ヴァルヒャのチェンバロ演奏による、LP5枚組のバッハの『「平均律*」クラフィーア曲集(全曲)』を発売した。黒い布装の箱入りで、『第17回芸術祭参加』と表示されている。筆者がこのレコードを買ったのは、発売直後ではなく、もう少し後であったように思う。
 ところで、この「平均律」のレコードには、おかしな処があった。 最初にこのレコードを聴いたとき、第1集の第2番、ハ短調のフーガの演奏が終わりにさしかかったところで、ヴァルヒャは唐突に演奏を止め、一瞬の間をおいて、少し戻ったところから再び演奏を始め、最後まで演奏をし終えたのである。
 もう少し具体的に書くと、このハ短調のフーガは4/4拍子、全部で31小節ある。その最後の31小節の2拍目から3拍目にかかるところで、演奏が止まってしまったのである。奏者の指がもつれるなど、何らかの支障が生じたのではないかと思われる。そして、28小節の3拍目に戻って弾き直しをした。この箇所から演奏を再開したのは、その小節の4拍目に、全ての声部が8分休止となるからと思われる。すなわちヴァルヒャは、31小節まで来て、演奏が止まってしまったので、28小節4拍目の休止の前から弾くことによって、この休止の部分で、もとの演奏と弾き直したものを?いでもらおうと考えたのではないかと思われる(譜例参照)。ところがこの箇所を編集することなく、レコードになってしまった、というのがその当時筆者が得た結論である。

 そこで筆者は、東芝音楽工業に電話をかけた。どの部署の誰かは忘れたが、電話に出た人に、このLPの問題の箇所について説明をしたのだが、その人は、このことについては、何も気がついていないようであった。そのため明確な答えも得られなかったので、一旦電話を切り、後日、おそらく数日後だったと思うが、再度電話をかけた。そして前回電話に出た人に、その後どうなったか聞いた。その人は、たしかにおかしいようには思うが、その理由が解らないとのことで、専門家、バッハ研究者の誰かだったと思うが、その人に聞いてみたところ、その人もたしかにおかしいと思うが、この作品にはいろいろな版の楽譜が有るので、その版の違いによる可能性もあるという答えだったと言うのである。筆者は、そんなことは考えられないと思ったが、それ以上の答えは得られず、東芝音楽工業の人は、レコードのマスター・テープの編集ミスであることを最後まで認めなかった。そして筆者もそれ以上追求することは止めてしまった。
 その後このことに気がついた人が、他にもいることが分かった。この件があってしばらくしてのことだが、NHKのFM放送で、このレコードが放送された。それが全曲だったか、第1集だけだったかは忘れてしまったが、その放送は、第1集第2番だけ飛ばしてされたのである。つまり、この放送の選曲をした人は、ハ短調のフーガの演奏に、おかしな箇所があることを知っていて、放送曲目から除外したと思われるのである。
 この未編集の箇所を含んだままのLPが、本国でも販売されたのか、それとも日本だけだったのか、日本で後に再版されたり、CD化されたことがあったのか、その際この箇所は修正されたのかどうかも、筆者は知らない。このような編集ミスのあるLPあるいはCDは他には出会ったことがない。たしかにこれは珍品レコードの一つだと思うが、そうは言っても切手の「ブラック・ペニー」みたいな希少価値はなさそうだ。しかし筆者は、このLPをずっと持っておくつもりである。
 ちなみに、ヘルムート・ヴァルヒャがこのレコードで演奏してるのは、アンマーというモダン・チェンバロであるが、1973年と1974年に、第1集はヤン・リュッカースII世の1640年作、第2集はジャン=アンリ・エムシュの1755/56年作のチェンバロで再録音をし、アルヒーフから発売された。

* バッハが第1集の自筆譜の表紙に、”Das wohltemperierte Clavier” と記した標題の日本語訳として、筆者は「平均律」とするのは間違いだと考えている。詳細はいずれか明らかにしたい。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
Das wohltemperierte Clavier (mb000467)
2007-04-17 14:30:55
 "wohltemperierte" 部分を「平均律」と訳すことは確かに奇妙なことですね。「塩梅よく調整された」ほどの意味でしょうから。上記記事の「平均率」という表記は変換ミスですね(笑)。僕もたまに同様のミスをします。
 "wohltemperierte" が「12等分平均律」を指していたのか、その他の「不等分律」を指していたのかについて、音楽学上の決着はついていません。というより今後もつけられないでしょう。個人的には後者であると考えていますが。
 
 
 
そう!「平均律」です! (ogawa_j)
2007-04-18 17:52:42
mb000467さん、ご指摘ありがとうございました。早速修正しました。
今まで読んだ調律法に関する資料は、主にドイツ語ですが、一部バッハのこの作品を平均律を想定したと主張している人がいますが、総じてwohltemperierte Stimmungは平均律とは異なる調律法と考えています。多くの調性で美しく響く調律法が種々考案されていた当時、バッハもそのような調律法に則ったものを前提としていたと思います。キルンベルガーの調律に対する考えは、師であったバッハの考えを伝えているものと思います。
私はこのwohltemperiertの日本語として、「巧みに調律された」等どうかと考えています。
 
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