<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ああ そうだったのか

2015年07月10日 15時45分06秒 | Weblog

病気になる。これを克服する。

するとそこに新しい明るさが見えてくる。明るい風景が広がって来る。

したがって、広がった明るい風景の元になる原因は、病気である。

病気になっていなければそこへ到達することはできなかったのである。

明るい風景が開けたら、そこで一幕一場の劇はめでたく幕を下ろすことになる。

**

病気にならなくともそこへ到達することができる人もいるけれども、こういう人は随分と進化をしている人たちである。

だから、克服を促しているのが病気であるとも言える。

病はいっときの現象である。

止まっているのではない。

止まっているのではないのに止まらせているのは、その人がそれを永遠不変として絶対化するからである。

***

この世のものはみな行き過ぎる旅人だから、そこに一泊したら明朝にはまた旅支度をして出立をするはずである。

彼の滞在には深い意味が込められていたので、それを読み取って、彼を次へ進ませてあげればいいのである。

****

闇が深くなると小さな明かりが大きな明かりに変容する。

闇はただの闇ではない。

闇は闇だけで存在できるものでもない。

明るさがなければ闇にだってなれなかったのである。

闇がなければ明るさだって単独の勝利は得られなかったのである。

殺し合っているのではなく、互いを生かし合っているのだ。

*****

わたしの進歩を止まらせようとするものを敵としてはならないように思う。

それがあってこれがあるのである。

それをわれわれはいつも体験的に学んでいるのである。

われわれが学び取っていくために、ただそれだけのために、われわれの舞台に次々とさまざまな登場人物が現れてきてさまざまなドラマを演じて行く。

われわれが涙のうちに笑いのうちに、このカラクリを理解ができたら、そこでたちどころに舞台俳優たちは藁人形になってそこに倒れ、やがて掻き消える。

ああそうだったのか。我への働きかけがやっとこれで成就したのか。われわれはこれを知る。

諸行無常と諸法無我を知る。我を訪問するもののすべては、変化変容を遂げて次へ次へと進んで行くことを知り、そこにいかなる実体もないことを知る。われわれはここへ来てやっと空を知る。こだわらないでいいことを知る。

空を知って、わたしも空になるのである。空の眼が開けて安心を得るのである。

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