仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔 浄土宗系経典 大無量寿経「讃仏偈」より
けりょうしんし しょくどくちゅう がぎょうしょうじん にんじゅうふけ
たとい身は、諸々の苦毒の中に止(とどま)るとも、我は精進を行じ、忍んでついに悔いることなけん。
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仏道という道を歩いている法蔵という名の菩薩がいる。彼は仏陀にならんとして精進し、修行に励んでいる。この菩薩には世自在王仏という導き手がある。菩薩は誓願を建てる。仏陀に成って苦悩の衆生を一人残らず救済しようという誓願である。そうするためには是が非でも仏陀にならなければならない。仏陀に成るためには、諸々の衆生と共に苦難の毒の中に沈んで、ともにそこを超えて出て行かねばならない。悔いていては先に進めないのである。願いを果たすまでは悔いていてはならないのである。停止をしていてはいけないのである。進んで行かねばならないのである。
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法蔵菩薩はそういう壮烈な誓願に生きておられた。そしてその誓願を果たされて阿弥陀仏という仏陀に成られた。一切衆生を救済することが出来る如来、仏陀となられたのである。
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わたしにはそういうことはできない。できないでいい。できるはずがない。
わたしは悔いてばかりだ。苦難の毒に沈んで、それを嘆いてばかりだ。これでは先に進んでいけない。仏道という大いなる道を歩いては行けない。
そういうわたしを導こうというのである。導いて行くのは阿弥陀仏である。今現に此処でわたしの細い手を取っているのは、阿弥陀仏という仏陀である。
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それを知らしめられる。経典を読んでいるとそれを知らしめられる。わたしは悔いる。仏陀は悔いない。その両極端が手を取り合っているのである。
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