「半夜」 良寛
首(こうべ)を回(めぐ)らせば、五十有余年
人間(じんかん)の是非は一夢の中
山房五月、黄梅の雨
半夜 蕭々(しょうしょう) 虚窓に(そそ)ぐ
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「そそぐ」の漢字は氵篇に「麗」。探し当てきれませんでした。
「山房」とは、五合庵のことでしょうか?
「黄梅」とは、やや熟れてきた梅の実のことでしょうか?
「人間(じんかん)」は人間界のことだろうか?
「五十有余年」とあるから、このとき、作者良寛禅師は50台の頃か?
「半夜」とは? 夕暮れ方から朝方までの時間帯だろうか? まだ明けきれない夜明け前のことだろうか? 夢を見ておられる夜の、眠りの浅さだろうか?だろうか? ???
「虚窓」とは? 誰もいない家に開け放たれた木窓のことだろうか? 風が抜けて行く涼しい木窓のことだろうか?
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夜に入って雨になった。五月の雨はなまぬるい。雨に濡れた梅の実が半分熟れて来る。住処にしている五合庵に一人でいると、回顧の情が押し寄せる。五十有余年生きて来たが、で、どうだったのか? 半夜、蕭々と降る雨が木窓にそそいでいるきりだ。この人間界に起こるできごとの是非を問うても詮無いことだ。夢幻に過ぎない。
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人間界の五十有余年は一夢の中、是非のつけようもないではないか。是非をつけるのはよそう。五月、青い梅の実が黄色く熟れた。これでいい。
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