<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

是非をつけるのはよそう。良寛の詩を読み解く。

2024年04月27日 10時51分10秒 | Weblog

「半夜」   良寛

 

首(こうべ)を回(めぐ)らせば、五十有余年

人間(じんかん)の是非は一夢の中

山房五月、黄梅の雨

半夜 蕭々(しょうしょう) 虚窓に(そそ)ぐ

「そそぐ」の漢字は氵篇に「麗」。探し当てきれませんでした。

「山房」とは、五合庵のことでしょうか?

「黄梅」とは、やや熟れてきた梅の実のことでしょうか?

「人間(じんかん)」は人間界のことだろうか?

「五十有余年」とあるから、このとき、作者良寛禅師は50台の頃か?

「半夜」とは? 夕暮れ方から朝方までの時間帯だろうか? まだ明けきれない夜明け前のことだろうか? 夢を見ておられる夜の、眠りの浅さだろうか?だろうか? ???

「虚窓」とは? 誰もいない家に開け放たれた木窓のことだろうか? 風が抜けて行く涼しい木窓のことだろうか?

夜に入って雨になった。五月の雨はなまぬるい。雨に濡れた梅の実が半分熟れて来る。住処にしている五合庵に一人でいると、回顧の情が押し寄せる。五十有余年生きて来たが、で、どうだったのか? 半夜、蕭々と降る雨が木窓にそそいでいるきりだ。この人間界に起こるできごとの是非を問うても詮無いことだ。夢幻に過ぎない。

人間界の五十有余年は一夢の中、是非のつけようもないではないか。是非をつけるのはよそう。五月、青い梅の実が黄色く熟れた。これでいい。

 

 

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