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「呪文・呪(まじな)い」の肯定的側面

2017年12月14日 19時27分19秒 | Weblog

呪。辞書にはこうある。①のろうこと。呪詛。②まじない。呪文。呪術。巫呪。③陀羅尼。真言。神呪。

呪文を調べるとこうある。①密教・修験道・陰陽道などで唱える神秘的な文句。②呪術の最要部を成す唱文。

呪術を調べるとこうある。magic 超自然的な存在や神秘的な力に働きかけて種々の目的を達成しようとする意図的な行為。未開・文明を問わずああゆる社会に見られる。善意の意図による白呪術(white magic)と邪悪な意図による黒呪術(black magic)とに分けられる。

もっぱら己の利益を将来するためであれば、それは宗教概念の範疇からははみ出している。①の呪い、呪詛がこれに相当するだろう。他者の利益、いわゆる利他行を意図するものであれば、②の呪(まじな)い、③の陀羅尼に該当するだろう。

面白いことに、「呪(まじな)う」という動詞では、辞書はこう規定している。①神仏または神秘的威力によって災禍を免れたり起こしたりすることを祈る。

呪は「祈り」だとしている。祈りの同義語だったのかもしれない。祈りが一歩だけ行動に動き出した状況だったかもしれない。

さらに呪うの第②項では、「病気を治療する」ことだとしている。

病気は「気を病んでいること」だとされていた時代の名残だろうか。いわゆる医学が発達していなかった頃には、「呪うこと」が病気を治療する方法の筆頭だったに違いない。呪術師がすなわち医者だったころには救済行為を代表していたことだろう。

最早その頃は終わっている? 終わっているだろう、医学が発達したのだから。近代科学が力を発揮しているのだから。そう考えて不思議はない。でもそうだろうか。疑問は消えない。現代でも、そういう病気治療法はあるのではないか。個人のこころの領域にはまだもって生きているのではないか。そんなふうにも思われる。こころの力、それが呪うことだ、とも思えて来る。心の力、言葉の力を放棄しては、現代人と雖も、生きてはいけないのかも知れない。

呪の肯定。呪うこと、呪文を唱えることは人間の根源的・内的力の発露されたものだ。これで自己治癒を発揮できる。自己開発を促していく助けとなる。

今日はここを結論としておきたい。

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