創造をするというのは何かを残しておきたいと言う願望に基づいているのかも知れない。
消えて消えて消えて行く日常が悲しいのだろう。せっかく手にしたどんな幸福も消えて行ってしまう。流れ去って行ってしまう。手元に残らない。
そこに日記のようなものを残す。するとそれが記念碑になれる。ああそうだったな、そういうことがあったのだな、という回想ができる。
何にも残らないで泡のように消えて行ってしまうより科は、こちらの方が少しはマシではないか。
僅かながら、創造の粘土細工をして、残す。幼児のやるようなことなのだが、これでもっと癒やしに掛かる。
何もかもが消去の憂き目に遭うことから、逃れようとする。あがく。抵抗を試みる。
抵抗をしても無駄かも知れないのだが、これに賭ける。これに賭けるしかないから。
生きていたという事実は、しかし、何をしようとも、いつかは消去される。消去されるときが来る。
これでいいのかもしれないのだが、これを良くないとして、藻掻く。そしてペンを取る。記録をする。文章を書く。記録をするという創造をする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます