つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことがない。怠りなまける人々は死者の如くである。 法句経=ダンマパダより (中村元訳)
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法句経は釈尊の言葉を集めた原始仏典である。パーリ語ではダンマパダ、真理の言葉の謂である。全篇に423の詩が鏤めてある。
六波羅蜜には精進波羅蜜がある。精進とは勤め励むことである。仏道に励むことである。
怠けおこたる修行者を叱咤されたのだろうか。精進しない者は「死者の如し」とは厳しいが、精進する者は「死なない」とまで褒めあげておられる。
死をも乗り越えて行くということだろうか。それほどに修行を尊重されておられるようだ。
自覚覚他(じかくかくた)の段階まで進むにはそれ相応の覚悟が不可欠なはずである。まずは自らが覚(さと)らねばならない。そこで止まるのではなくさらに覚他へ移らねばならない。他者を覚らせるには自らを高めておかねばならないからである。犀(さい)の如くひたむきに歩き進めていかねばならない。
自力による修行完成を放棄して、ひたすら仏陀の力にあずかっても、それは同じだろう。自らを高める努力を怠る修行者はいまい。
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仏陀は勤め励む修行者に対して語りかけておられるに違いない。人を見て法を説いておられるお釈迦様である。褒めるというところに力点が見られるように思われる。それにしても精進する者は死をも超えて行くとは。声を掛けられた修行者は大きな勇気を感じたであろう。彼は勇躍して山頂を目指したであろう。
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怠け者のさぶろうには全篇が痛烈な張り手のようなダンマパダである。
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