これは囁(ささや)きです。小さい声です。聞き取れないくらいです。それが耳に届いて来ます。受信機の耳の耳朶を立てて聞き入ります。
いつも「へへえ」「へへえ」を言います。これは「はい」「聞こえております」のつもりです。声の主の、相手の名はあかせません。あかすと次から聞こえて来なくなるようで心配なのです。
「あなたを守ります」「いつまでも守ります」「あなたがどうなっても守ります」と声の主は言います。わたしは感極まって、というよりは畏れ多くて、「へへえ」「へへえ」を繰り返します。
そんなことがあるのだろうか、とも思います。守るということの具体性が、第一、分かっていません。守っているから、だから「どこへも進め、進んで行け、そこが地獄に見えてもそれでもそこを進んで行け、勇気を鼓舞して進め」という暗示かも知れません。
地獄に突き進んでいくのは嫌です。それでは守られたことにはなりません。そういうことならわたしは拒否を申し出ます。
すると、声はこう続きます。「此は他の誰にも言えないことです。あなただから言うのです」わたしはつまりその声に選ばれた者のようです。「あなたはこの苦しみに耐えうる者です」とも続きます。わたしはもう聞きたくありません。わたしは耳を塞ぎます。
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これはわたしが鬱を患ったときの囁きです。もうずいぶん前のことになります。でもその通りわたしは守られました。毎夜毎夜、地獄の三悪道を経巡っていきました。恐怖でのたうち回りました。眠っているはずなのですが、鬼にもまがうようなはっきりした唸り声を上げました。わたしはもう通常の感覚をした人間ではありませんでした。そこで追い詰められた長い月日が経ちました。或る日、そこを抜けました。守られたのです。
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