前回のブログで法華経如来寿量品偈の数句を取り上げたが、実は法華経の文言そのものが、わたしには電気を帯びているのである。それでその文言がコンセントになってわたしというピノキオを動かすのである。ピノキオの頬が緩み口元に笑みが浮かび、目が輝き出すのである。ここまでは至極単純なのである。我流解釈だから、正当性は極めて低いにもかかわらず、それで十分なのである。十分ピノキオを元気にするのである。不思議だ。法華経の文言の数句でコロリと転ぶのである。安心の腹を見せてニャーと鳴くのである。だらしがないにもほどがあるのかもしれない。ただ、感情で読んでいるからこうなるのである。全面的な信頼感がそれをそうさせるのである。
我常住於此 がおじゅうおし 我は常に此処に住せり
「わたし(仏陀)はいつも此処にいますよ」の法華経の一句が「わたしはいつもあなたの傍にいますよ」「あなたの傍を離れたりはしませんよ」に聞こえてしまうのである。わたし個人宛の力強い宣言に聞こえてきてしまうのである。
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