1
我が為す業は、我が為すにあらず。
棟方志功
2
彼は絵を描いています。彫刻をしています。だからこの業というのは芸術の仕事のことでしょうか。
3
自分の手が絵筆を握っている。自分の手が彫刻の鑿を握っているから、自分が創造をしていることになるはずなのですが、出来上がった見事な作品を見ていると、これはわたしの業(技)によって完成されたものではない、と思ったのでしょう。わたしにはこんな力はない、と。
4
彼は自分に絵を描かせる何かの外なる力を感じているのでしょうか。描かされている、というふうに思えたのでしょうか。
5
自分の内なる力を外なる力が引き出しているという感覚を抱いたのでしょうか。
6
共同制作、そんな感じもしたのかもしれません。(個人の才能と宇宙の才能は相似形をしているのかもしれない)
7
彼は、だから内と外とを繋げるもの、共通する強力な電磁場のようなものを見出せたのでしょう。
8
阿頼耶識(あらやしき)という意識があります。仏教で説かれています。これは個人の意識を超えた意識です。人類全体の共同意識です。ですから、人類全体が利用可能なのです。ここに繋がりさえすれば、此処はいわば「汲めども尽きない愛の泉・力の泉」なのです。
9
宇宙は実は、そこに生きているものの共同利用の場なのです。ですから宇宙が宿すパワーは共通活用が可能です。
10
だから、棟方志功だけがこのパワーを利用できたわけではないのでしょう。
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彼は、純なこころでふっと、その秘密、共同利用のシークレットを嗅ぎつけることができたのです。
12
わたしを超えていけばいい、わたしを超えていけば広い場所に出られる、というシークレットに直感で触れることが出来たのです。
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今日はそんなことを思いました。すべての人がこの共同の愛の泉、力の泉を汲むことが出来ることを、彼が身を以て証明してみせたのです。
でもこれは、わたしの推測の域に留まっています。
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