恋草(こひぐさ)を力車(ちからぐるま)に七車(ななぐるま)積みて恋ふらくわが心から 広河女王(ひろかわのおおきみ) 万葉集 巻四
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いいなあ。そんなに恋しい人がいるのか。わたしにはないことだ。心から恋しいと思う人がいるのか、いいなあ。そんな情熱を滾らせて生きようというのか、いいなあ。わたしにもあっていいのに、わたしにはないことだ。
力車というのがどんな車なのか。その当時だからおそらくは牛車ほどであったとして、それを7台も連ねて、そこに恋が燃え上がる恋草を山と積んで来て、ますます燃え上がらせたいという恋の相手は? どんな人だったんだろう。万葉集時代の女性はそんなにも迫力があり、行動する姿勢威力が旺盛だったのだろうか。
いずれいずれわたしにはないことだ。わたしにだってあっていいことなのに、わたしにはない。恋草という草を知らないからだろうか。
そんな努力をして恋が成就したとして、その人はいったいどんな種類の人生満足を得ていたのだろう。果てをしらないほどであったのだろうか。わたしはすぐにその「果て」を造ってしまって、その狭い小さな枠内でつつましくしているだけなのに。
生きているということは、恋をして生きているということなのか。そんなことはあるまい、とわたしなんかは実に冷ややかだ。冷めた人生を送っている者には、広河女王の歌はとうてい吟味できないのかもしれない。
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