死んだ者はもう死なない。生きている者にしか死はない。生きている者は死を恐れる。不安がる。死んだためしがないから死というものの実体が掴めないのだ。だが、死者はこれを掴めたことになる。「なあんだ、こんなものだったのか」とほっとしているのか、それとも「なるほど恐いものだった」「予想通り、あるいは予想以上に過酷なものだった」などと述懐する羽目になるのか。どっちにしたって死を体験し体得したのである。もうそこを通過したのである。暗いトンネルを抜けたのである。抜けたらもう未知数ではなくなっている。体験したのだから。少なくとも不安は消去されているはずだ。死者は目を輝かせるかもしれない。「死とはこんなものだったのか」ということが解明されたので、目がきらきらきらきら輝き出すに違いない。それから先にあるのはひたすらな生である。誕生である。これが次の関門になる。これも未知数にされているのなら、やはり生者の死と同じように不安がるものなのかもしれない。恐がるべきものなのかもしれない。いずれにしても、死者には死がないのだ。それを擲って軽くなっていられるのである。死の門を潜ってその先に出ているのである。死から生へ移る期間は案外短くて7日x7週間=49日とする説もある。これは単に準備に要する期間で、実際はもっと長いとする説もある。これも死んでみたら解明されることである。そしてこの解明はすべての人に訪れて来るのである。
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