意識も死ぬだろうか。物質の肉体はいつまでも同じ形を保ってはいられない。終いには消えてなくなり、元の元素に分散していく。意識も、四六時中いつも使っているから、磨り減ってやがてはなくなるのだろうか。意識は肉体を住処としているので、住処がなくなると、何処にもいられなくなるのかもしれない。住処のある間だけしか使命を果たし得ないのかもしれない。住処が出来て棲めるようになったので意識がここに移動してきているのかもしれない。意識によって住処の肉体がエンジンを回転させ、生命体を構成しえているのかも知れない。肉体亡き後の意識は、では、何処にいるのだろうか。生きていることに満足していたり、生きていることを嬉しがったりしている意識。これもまた100%分解してしまうのだろうか。記憶として何処かに保存されているのだろうか。図書館の書架貯蔵庫みたいなところに。そこへ行ったらいつでも閲覧が出来て、記憶を辿り辿りできるのだろうか。誰が? 本質が。本質って? 生命の本質。わたしに肉体を持たせ意識を宿らせていたその主体者。それ、宇宙ってこと? 神さまってこと? 分からない。分からないけど、わたしを生かしていた本体。わたしたちすべての生命を司った中心。そんなものがあるのだろうか? 少なくともわたしだけでは生きられなかったはず。わたしが生きようとしたとしても、それをするすべての条件が満ちていなければ、わたしは生きようとする意思を実現化できなかったはず。だから、生きたいというわたしのすべての条件を満たしてくれたものがいるはず。意識もそこから派遣されただけかもしれない。だったら、そこへ戻っているのかも知れない。
あれこれ考えてみたが、わたしの浅い智慧では探し当てられない。