<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

愚にもつかぬ事を!

2017年01月13日 14時21分43秒 | Weblog

有名になった人だけが「この世を生きた」ということになるのだろうか。華々しい功績を残し得た人だけが「この世を生きた」という充足をもらえるのだろうか。無名な人は「この世を生きた」という条項に該当しないことになるのだろうか。功績などにはまったく無縁だった人は「この世を生きた」自慢から疎外されるのだろうか。これはただ自意識の領域内のことなのだろうか。自分の判断だけで済むことなのだろうか。もしかしたら強制はないのかもしれない。束縛もないかもしれない。有名だろうと無名だろうと、功績のあるなしを問わず、誰もが当然「この世を生きた」ことになるのだろうか。

外は寒い。炬燵に入ってそんなことを考えていた。愚にもつかぬ事を!

 

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意識も死ぬのだろうか

2017年01月13日 13時58分39秒 | Weblog

意識も死ぬだろうか。物質の肉体はいつまでも同じ形を保ってはいられない。終いには消えてなくなり、元の元素に分散していく。意識も、四六時中いつも使っているから、磨り減ってやがてはなくなるのだろうか。意識は肉体を住処としているので、住処がなくなると、何処にもいられなくなるのかもしれない。住処のある間だけしか使命を果たし得ないのかもしれない。住処が出来て棲めるようになったので意識がここに移動してきているのかもしれない。意識によって住処の肉体がエンジンを回転させ、生命体を構成しえているのかも知れない。肉体亡き後の意識は、では、何処にいるのだろうか。生きていることに満足していたり、生きていることを嬉しがったりしている意識。これもまた100%分解してしまうのだろうか。記憶として何処かに保存されているのだろうか。図書館の書架貯蔵庫みたいなところに。そこへ行ったらいつでも閲覧が出来て、記憶を辿り辿りできるのだろうか。誰が? 本質が。本質って? 生命の本質。わたしに肉体を持たせ意識を宿らせていたその主体者。それ、宇宙ってこと? 神さまってこと? 分からない。分からないけど、わたしを生かしていた本体。わたしたちすべての生命を司った中心。そんなものがあるのだろうか? 少なくともわたしだけでは生きられなかったはず。わたしが生きようとしたとしても、それをするすべての条件が満ちていなければ、わたしは生きようとする意思を実現化できなかったはず。だから、生きたいというわたしのすべての条件を満たしてくれたものがいるはず。意識もそこから派遣されただけかもしれない。だったら、そこへ戻っているのかも知れない。

あれこれ考えてみたが、わたしの浅い智慧では探し当てられない。

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これが今日の僕の全部

2017年01月13日 13時51分42秒 | Weblog

やっと一枚風景画を描いた。クレヨン水彩で。葉書の裏に。これが今日の僕の全部。

 

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発信したいことがない

2017年01月13日 13時41分53秒 | Weblog

発信したいことがない。よって、書けない。

ベランダの日当たりに洗濯物がくるりくるりと回っている。ゆっくり回っている。さっきまで突風が吹いていたがそれも止んで穏やかになっている。少しは風があるようだ。

何処にも行かない。何にもしていない。まだ着替えてもいない。外に出るのは寒そうだ。炬燵のお守りをしている。お守りをするべき炬燵でもないのだが。

 

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