底が浅い。
わたしの川のことである。
細々とした流れで、水が流れていないようにしか見えない。水無し川である。
水は智慧である。
智慧の水が流れるべき川なのに、肝心の智慧が流れていない。
ここまで老いて、長々と生きてもこのざまである。
しかし、現実は現実。それを悔やんだところでなにほどのこともない。悔やまない方がずっといい。
悔やむのは、だから、止めよう。
川が浅ければ、そこで駈けっこをすればいい。水が深ければそこで泳げばいい。泳ぐばかりが川ではない。幼児にとっては川は浅い方が遊びやすい。
いやいや、どんな川だっていいのだ。
こんな川でなければ川ではないということはないのだ。そんなふうに狭く考える必要などはないのだ。
さまざまな川の流れでいい。それで、さまざまな川の風景が出来上がる。
このごろ、ちょいと開き直って、図太く構えることにしている。
賢者と愚者を考えるときに、賢者をより多く羨ましがるが、そうとばかりは言えないだろうと思うようになった。
どっちだって構わないのである。
これでなければ駄目だという方が可笑しい。広がりがある方が楽しいのである。
広がりがなければ宇宙は進展をしなかったはずである。
賢者は賢者。愚者は愚者。他者を羨ましがることも蔑むこともない。
そこに徹していればそこに美しい空と海と山ができあがる。
比べようがないのである。
比べるのは煩悩を産む娑婆世界の通例だが、この通例に従わなければならないというルールはないのである。
自由がいい。考え方も自由がいい。
わたしの川のことである。
細々とした流れで、水が流れていないようにしか見えない。水無し川である。
水は智慧である。
智慧の水が流れるべき川なのに、肝心の智慧が流れていない。
ここまで老いて、長々と生きてもこのざまである。
しかし、現実は現実。それを悔やんだところでなにほどのこともない。悔やまない方がずっといい。
悔やむのは、だから、止めよう。
川が浅ければ、そこで駈けっこをすればいい。水が深ければそこで泳げばいい。泳ぐばかりが川ではない。幼児にとっては川は浅い方が遊びやすい。
いやいや、どんな川だっていいのだ。
こんな川でなければ川ではないということはないのだ。そんなふうに狭く考える必要などはないのだ。
さまざまな川の流れでいい。それで、さまざまな川の風景が出来上がる。
このごろ、ちょいと開き直って、図太く構えることにしている。
賢者と愚者を考えるときに、賢者をより多く羨ましがるが、そうとばかりは言えないだろうと思うようになった。
どっちだって構わないのである。
これでなければ駄目だという方が可笑しい。広がりがある方が楽しいのである。
広がりがなければ宇宙は進展をしなかったはずである。
賢者は賢者。愚者は愚者。他者を羨ましがることも蔑むこともない。
そこに徹していればそこに美しい空と海と山ができあがる。
比べようがないのである。
比べるのは煩悩を産む娑婆世界の通例だが、この通例に従わなければならないというルールはないのである。
自由がいい。考え方も自由がいい。