<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

威張らない赤鬼

2008年01月21日 00時44分18秒 | Weblog
威張ったのは好きではありません。偉い人は威張りません。威張る人は偉くありません。赤鬼は、威張ってはいけないぞ、いけないぞと自分に言い聞かせることがありました。偉くない赤鬼には、威張ることなんてなんにもないわけですから、そんなふうに自分に言い聞かせることなんて不必要なことでありましたが、でも、誰に対してもどんなときにも威張ってはならないとなると、話はこみいります。弱い人に威張ってはならない。やさしい気持ちを持っていなければならない。そうです。威張っていると声が大きくなります。居丈高になると胸を反らしてしまいます。赤鬼はときどきとっても大きい甲高い声を放ってしまうことがあります。それから、胸を反らして歩くこともあります。大きな声を出さないでいると、落ち込んでしまいます。胸を反らさないでいるとしょんぼりしてしまうことがあります。自分で自分を力づけることが難しくなります。おれはほんとは偉いんだぞと言ってみたくなるときがこれまでにも何度かあったのです。赤鬼を軽蔑するにんげんに対して、口を滑らせてしまったこともあったのです。軽蔑をされたときにもやっぱり威張ったふうでいてはならないのです。こんなときに、威張ってしまうと台無しです。これまでのことはみんな嘘になってしまいます。

「偉くなるのではない。偉くなろうとするのではない。偉くなろうと意気込む自分の心を棄てるのだ。それが赤鬼一生の修行である」これは赤鬼のよく行く鬼寺の門に張り紙をしてあったことばです。偉くなろうとした者はみな鬼になってしまったのだ、と鬼寺の和尚は諫めます。だとすると、この世で鬼になった赤鬼は、おおいに反省をしなければならないのでありました。威張ることがいけないのではなくて、偉くなることもいけないことだとは、赤鬼にはどうしても思えないことでありました。

      *

話が長くなりますから、結論だけを書きます。偉いのは仏さまだけだからです。仏様の目からしたら、赤鬼のやっていることは威張ることではありません。偉いったって、偉ぶることではありません。ここのところをどう説明したらいいかわからないでいます。赤鬼がもともとつまらないと言うつもりはちっともありません。それどころか、赤鬼が赤鬼をしていることはとってもすごいことなのですから。

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