今回、「これ、このまま小説になりそう。」という文字通り”逸話”を発見したのでご報告します。
○戦国BL劇場 「憎しみが愛に変わるとき」
和泉国出身の日根野備中守は、美濃の斉藤道三に仕え、その後小田原の後北条家へ仕えた。
備中守の弟は弥次右衛門、備中守の子は織部、弥次右衛門の子は□□(欠字)という。
※日根野一族が開発されたとされる日根野頭形(ひねのずなり)兜
出典:ウィキペディア
織部は美童だった。
後北条家の家中には、鈴木大學という武功のある者がおり、
「今度上方からやってきたと言う新参者の日根野とかいう奴。武功があるとか言ってやがるが、我が北条家で武功を上げるなどと言うことは簡単にはできまい。何かのついでに恥を掻かせてやる。」
と、常々言っていた。
日根野もそれを知っていて、外出する際には「今日鈴木と会ったならば討ち果たすこともある。」と妻子に言い含めており、鈴木は鈴木で「日根野に会ったら最期。。。」と言っていた。
ところが。
あろうことか、日根野織部を見た鈴木大學は、その美しさに心を奪われてしまい、気持ちが抑えきれなくなった鈴木大學は、日根野織部に恋文を送ってしまいます。
日根野織部は鈴木大學からの恋文を見て、
「これは我々を油断させようとする鈴木の罠だ。なんと卑劣な漢だ。必ず討ち果たしてくれるわ。果たし状ならそれとして送れば良いものを!」
と、引き破って捨ててしまいました。
しかし、鈴木大學の恋心は、いっそう募るばかり・・・。
燃え上がる情熱は二人の間の誤解の壁を乗り越え、とうとう二人は結ばれます。
その後、武田信玄が小田原城を攻め、本丸まで押し寄せたとき、日根野親子4名は門外へ出て、門が中から開かないようにして決死の覚悟を決めていた。
すると、鈴木大學が
「日根野家の4人はどこにいる!」
と人々に尋ねると門外にいて決死の覚悟をしており、門は中から開かないように仕掛けがしてあることが判った。
それを聞いた鈴木大學は塀を乗り越え、門外に出て日根野家4名と合流。
日根野4名が鑓で活躍し、鈴木大學は弓で応戦した。(了)
転校生が現れ、クラス中の興味を引いていることに我知らず嫉妬し、思わず「嫌い!」と言ってしまう。
しかし、嫉妬の感情は歪んだ愛の形であり、自分の本心に気づいたとき、混乱したものの、自分の気持ちに素直になり必死のアプローチの末、二人の間にあった誤解も解け、魂で結ばれる。
と、説明すると一昔前の少女マンガにでもありそうなストーリーそのもの。
これが、男性同士のやりとり、っていうところが、いかにも戦国時代です。
まぁ、愛の形は様々ですので、なんとも申し上げられませんが、この逸話が採録されている『武功雑記』という江戸時代の松浦鎮信という大名が書いた逸話集には、なぜかこの手の話が多い。
松浦鎮信自体にそうした趣味があってもおかしくは無い時代ですが、どちらかというと、そっちの趣味は無く、「え~~~!そ、そぉなのぉぉぉ!」と驚愕したからこそ載せたのではないかと私は見ています。
ブログにわざわざ書いている私も松浦公と一緒だな、と、納得した次第。
日本史 ブログランキングへ
○戦国BL劇場 「憎しみが愛に変わるとき」
和泉国出身の日根野備中守は、美濃の斉藤道三に仕え、その後小田原の後北条家へ仕えた。
備中守の弟は弥次右衛門、備中守の子は織部、弥次右衛門の子は□□(欠字)という。
※日根野一族が開発されたとされる日根野頭形(ひねのずなり)兜
出典:ウィキペディア
織部は美童だった。
後北条家の家中には、鈴木大學という武功のある者がおり、
「今度上方からやってきたと言う新参者の日根野とかいう奴。武功があるとか言ってやがるが、我が北条家で武功を上げるなどと言うことは簡単にはできまい。何かのついでに恥を掻かせてやる。」
と、常々言っていた。
日根野もそれを知っていて、外出する際には「今日鈴木と会ったならば討ち果たすこともある。」と妻子に言い含めており、鈴木は鈴木で「日根野に会ったら最期。。。」と言っていた。
ところが。
あろうことか、日根野織部を見た鈴木大學は、その美しさに心を奪われてしまい、気持ちが抑えきれなくなった鈴木大學は、日根野織部に恋文を送ってしまいます。
日根野織部は鈴木大學からの恋文を見て、
「これは我々を油断させようとする鈴木の罠だ。なんと卑劣な漢だ。必ず討ち果たしてくれるわ。果たし状ならそれとして送れば良いものを!」
と、引き破って捨ててしまいました。
しかし、鈴木大學の恋心は、いっそう募るばかり・・・。
燃え上がる情熱は二人の間の誤解の壁を乗り越え、とうとう二人は結ばれます。
その後、武田信玄が小田原城を攻め、本丸まで押し寄せたとき、日根野親子4名は門外へ出て、門が中から開かないようにして決死の覚悟を決めていた。
すると、鈴木大學が
「日根野家の4人はどこにいる!」
と人々に尋ねると門外にいて決死の覚悟をしており、門は中から開かないように仕掛けがしてあることが判った。
それを聞いた鈴木大學は塀を乗り越え、門外に出て日根野家4名と合流。
日根野4名が鑓で活躍し、鈴木大學は弓で応戦した。(了)
転校生が現れ、クラス中の興味を引いていることに我知らず嫉妬し、思わず「嫌い!」と言ってしまう。
しかし、嫉妬の感情は歪んだ愛の形であり、自分の本心に気づいたとき、混乱したものの、自分の気持ちに素直になり必死のアプローチの末、二人の間にあった誤解も解け、魂で結ばれる。
と、説明すると一昔前の少女マンガにでもありそうなストーリーそのもの。
これが、男性同士のやりとり、っていうところが、いかにも戦国時代です。
まぁ、愛の形は様々ですので、なんとも申し上げられませんが、この逸話が採録されている『武功雑記』という江戸時代の松浦鎮信という大名が書いた逸話集には、なぜかこの手の話が多い。
松浦鎮信自体にそうした趣味があってもおかしくは無い時代ですが、どちらかというと、そっちの趣味は無く、「え~~~!そ、そぉなのぉぉぉ!」と驚愕したからこそ載せたのではないかと私は見ています。
ブログにわざわざ書いている私も松浦公と一緒だな、と、納得した次第。
日本史 ブログランキングへ